中川一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中川 一郎(なかがわ いちろう、1925年3月9日 - 1983年1月9日)は日本の政治家。元衆議院議員。自由民主党の派閥中川派の領袖。
「北海のヒグマ」と呼ばれ、タカ派議員として知られていた。中川昭一自民党政務調査会長は長男。中川義雄参議院議員は実弟。学位は農学士(九州大学)。主な役職は農林水産大臣。 1983年1月9日ホテルで死亡。自殺したものと報じられる。
目次 |
[編集] 経歴
北海道広尾郡広尾町に農業・中川文蔵の子として生まれる。十勝農業学校(現・北海道帯広農業高等学校)、宇都宮高等農林学校(現・宇都宮大学農学部)を卒業し、1947年に九州大学農学部卒業。同年、農林省に技官として入省。卒業時に指導教授の推薦状を持参して、秘書として雇ってもらうべく革新系北海道知事田中敏文を訪れるも、アポイントを取っていたにも関わらずなかなか面会しようとしない田中にしびれを切らした中川は、推薦状を破り捨てて立ち去った。「沼さん(浅沼稲次郎)が死ぬまでは社会党支持だった」とも語っており、事と次第によっては左翼陣営から世に出ていたかも知れない。入省後すぐに北海道庁へ出向となる。
1951年、北海道開発庁が設置され、農林水産課開発担当官となり、1955年に、大野伴睦北海道開発庁長官の秘書官を勤め、大野に見出されることとなる。1963年、北海道5区から衆議院議員総選挙に出馬し、初当選。以後、連続当選7回。
田中内閣で大蔵政務次官に就任した後、1977年に福田内閣改造内閣で農林大臣(省庁改称のため、1978年7月5日より農林水産大臣)、鈴木善幸内閣では科学技術庁長官に就任した。
1973年には渡辺美智雄、石原慎太郎らと「青嵐会」を結成、若手タカ派として名を売った。福田赳夫に私淑し、後年は、福田と政治行動を共にする。1978年の自民党総裁選で福田が大平正芳に予備選で敗れた際は、本選挙で断固戦うことを主張し、福田内閣総辞職の際には署名を拒否する。1979年には石原、長谷川四郎、松沢雄蔵、長谷川峻らを結集して、自由革新同友会(事実上の中川派)を結成。1982年、鈴木善幸の後継を狙い自民党総裁選にいち早く名乗りを上げるも、予備選で最下位に敗れた。この時田中角栄を訪ね「池の鯉は跳ねちゃ駄目か」と出馬について伺いをたてるも「跳ねたはいいが戻れなければ日干しだ」と諭されたことは有名。
1983年、札幌パークホテルのバスルームにて謎の自殺。その死にはいくつかの疑問点があるとして、いまもって議論されることがある。ただ、前年の総裁選で惨敗を喫したことが影響したことは確かであり、総裁選後、睡眠薬を服用していたという。
[編集] その他
- 1988年故郷広尾町に中川一郎記念館が完成した。食肉卸業大手ハンナンの浅田満は建設費として3億円支払っている
[編集] 関連人物
[編集] 関連項目
- 青嵐会
- 自由革新同友会 ※ 旧中川派の正式名称
- DIA ※ 自殺を装ったとされる中川一郎謀殺説の主犯組織の疑いがあると、石原慎太郎が述べた事もある米国諜報・謀略機関組織
- レフチェンコ・ノート ※ 中川一郎を精神的に追い詰め、自殺に追い込んだきっかけになったと言われる説に絡む元KGB工作員政治亡命者携行書類。日本を含む西側の政財界の要所要所に居たとされる旧ソ連協力者(諜報員すれすれの立場の者から、単に友好的なだけの者まで、幅広く記載されていたと言われる)リストである。中川一郎が反米・反中共・親台湾・容ソ共であった事が公然と知られていたとはいえ、タカ派で反共(前述の通り、社会主義国家を一括りにはしていなかったが、世間や政界周辺で勘違いして中川一郎を支持する者も少なくなかった)と名の通った中川一郎にとっては、致命的なスキャンダルに発展しかねず、しかもどの程度までの協力者として名が載せられていたのか、当の中川一郎本人も疑心暗鬼・精神憔悴になるなど掴めていなかったとされている。自民党総裁選の工作資金として流用した政治資金(献金だけでなく、借金も)の中に、ソ連が偽装起業したペーパーカンパニーからの多額の資金が紛れ、その事で当時筆頭秘書・金庫番であった鈴木宗男と口論になり、喧嘩の勢いで引退を勧められ精神的に追い込まれたという説もある。他、資金源のひとつであったゴルフ会員権の運用失敗で追い込まれた末という説・長年に渡るソ連への接近(首相候補にまで上りつめながら、日米安保体制に楔を打ちかねない危険人物の疑い)に業を煮やしていたアメリカ謀略機関による他殺説など、真相とされる説は枚挙いとまない。
[編集] 外部リンク
- 農林大臣
- 1977年11月28日 - 1978年7月5日
-
- 先代:
- 鈴木善幸
- 次代:
- 組織改編の為不在
- 農林水産大臣
- 1978年7月5日 - 1978年12月7日
-
- 先代:
- 新編の為不在
- 次代:
- 武藤嘉文