中国民主同盟
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中国民主同盟(ちゅうごくみんしゅどうめい)は中華人民共和国の民主党派の一つ。
中国国民党の一党独裁体制(訓政)に反対する都市知識人が1939年11月に結成した「統一建国同志会」が源流。 その後、1941年3月に「中国民主政団同盟」と改名、さらに1944年9月に「中国民主同盟」と改称。設立当初は「訓政(国民党一党独裁)」維持のために国民党から圧迫を受ける。
1946年10月の政治協商会議に国民党、共産党、青年党と共に参加(無党派人士も参加)。しかし1946年11月の国民大会選挙には共産党と共に不参加。なおこの国民大会選挙には、元々民主同盟のメンバーだった中国青年党、民主社会党が参加。
統一建国同志会、中国民主政団同盟は団体加盟であり、個人メンバーの参加は原則認められていなかった。当初の傘下団体は以下の通り3つの党と3つの団体が集まっていたので「三党三派」と呼ばれる。思想的に隔たりの大きい団体の寄せ集めの色彩が強く、後に民主同盟を脱退する政党・団体もあった。
- 国家社会党 (後の中国民主社会党、民主同盟を脱退後、国民党と共に台湾に渡る)
- 中国青年党 (民主同盟を脱退、国民党と共に台湾に渡る)
- 第三党 (正式名称は中国国民党臨時行動委員会、後の中国民主農工党)
- 救国会 (正式名称は全国各界救国連合会)
- 職業教育社 (後の中国民主建国会)
- 郷村建設派
1944年に中国民主同盟と改称すると共に、個人加盟を認めるようになる(これに伴い、共産党員、共産党シンパが入り込んだとも言われる)。
1949年の中華人民共和国成立後、反右派闘争、文化大革命などの政治運動により度々弾圧を受ける。 現在の主席は丁石孫。党員数12万。