丙午
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干支 | |||||||||||
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01 甲子 |
02 乙丑 |
03 丙寅 |
04 丁卯 |
05 戊辰 |
06 己巳 |
07 庚午 |
08 辛未 |
09 壬申 |
10 癸酉 |
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11 甲戌 |
12 乙亥 |
13 丙子 |
14 丁丑 |
15 戊寅 |
16 己卯 |
17 庚辰 |
18 辛巳 |
19 壬午 |
20 癸未 |
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21 甲申 |
22 乙酉 |
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24 丁亥 |
25 戊子 |
26 己丑 |
27 庚寅 |
28 辛卯 |
29 壬辰 |
30 癸巳 |
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31 甲午 |
32 乙未 |
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34 丁酉 |
35 戊戌 |
36 己亥 |
37 庚子 |
38 辛丑 |
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41 甲辰 |
42 乙巳 |
43 丙午 |
44 丁未 |
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47 庚戌 |
48 辛亥 |
49 壬子 |
50 癸丑 |
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51 甲寅 |
52 乙卯 |
53 丙辰 |
54 丁巳 |
55 戊午 |
56 己未 |
57 庚申 |
58 辛酉 |
59 壬戌 |
60 癸亥 |
丙午(ひのえうま、へいご)は干支の一つ。
干支の組み合わせの43番目で、前は乙巳、次は丁未である。陰陽五行では、十干の丙は陽の火、十二支の午は陽の火で、比和である。
目次 |
[編集] 丙午の年
丙午は干・支ともに火性である。火性が重なることから、この年は火災が多いとか、この年に生まれた女性は気が強いという迷信が生まれた。さらに、「八百屋お七」が丙午の生まれだと言われていた(実際には戊申の生まれ)こともあって、この迷信がさらに広まることとなった。
この年生まれの女性は、気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮める(”ひのえうまの女は、男を食い殺す”)とまで言われる。特に江戸時代中期に盛んに信じられており、1846年(弘化3年)の丙午には、女の嬰児が間引きされたという話が残っている。1906年(明治39年)の丙午では、この年生まれの女性の多くが、丙午生まれという理由で結婚できなかったと言われている。
この迷信は昭和時代まで尾を引いており、1966年(昭和41年)の丙午では、子供を設けるのを避けた夫婦が多く、出生数は136万974人[1]と他の年に比べて極端に少なくなった。その余波により1966年の前年、翌年の出生数は増えた。
文仁親王妃紀子が丙午生まれであることなどから、1990年のご成婚以降、丙午を理由に差別的な言動を行う風潮は影をひそめつつある。
1千年紀 | 2千年紀 | 3千年紀 |
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- ↑ 出典:内閣府『青少年白書』平成18年版
[編集] 丙午の月
西暦年の下1桁が2・7(十干が壬・丁)の年の5月が丙午の月となる。ただしここでいう月は、旧暦の月や節月(芒種から小暑の前日まで)を適用する場合もある。
[編集] 丙午の日
[編集] 選日
丙午の日は天一天上の14日目である。
[編集] 関連書籍
- 新津隆夫・藤原理加 『1966年生まれ 丙午女(ヒノエウマ・ウーマン)―』小学館