三浦梅園
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三浦梅園(みうら ばいえん、享保8年8月2日(1723年9月1日) - 寛政元年3月14日(1789年4月9日))は江戸時代の思想家、自然哲学者、本職は医者。豊後国(大分県国東市)の出身。諱は晋(すすむ)。
条理学と言われる独自の学問体系を築いた『玄語』が有名。主要著書としては、他に『贅語』『敢語』がある。これらは、梅園自身によって「梅園三語」と命名された。この三著作が梅園の思想の骨格をなすのである。このうち『贅語』と『敢語』は完成したが、『玄語』は37年の歳月を費やして、ついに完成できなかった。
「梅園三語」以外の著書には、詩学概論『詩轍』(してつ)、経済論『価原』、医学書『身生餘譚』『造物餘譚』などがある。
また、読書日記『浦子手記』には、道家の系譜の哲学概論『淮南子』、西洋天文学説『天経或問』をはじめ、『荘子』『列子』、宋学、朱子学、仏教書などの数多くの書名も記されており、三浦梅園の思考はこうした当時の分厚い教養の上に成立していると思われる。また、陶弘景(456-536、医者、道教家)、韓康伯(4c)の人となりを慕っていたという。
梅園は三度旅をした以外は、故郷の大分県国東半島を離れることはなく、医業の傍ら黙々と思考を続け、その坦々とした生涯を終えた。複数の藩主から招聘の声もあったが、断ったという。
地元安岐町に梅園自身が設計した旧宅があり、近くには宿泊施設、キャンプ場、天文台、梅園などが整備された梅園の里があり、設備の完備した資料館に膨大な自筆稿本類すべてが保存されている。中でもメルカトール図法で描かれた世界地図(梅園自身の筆写)や南天図・北天図(南半球・北半球の星図。同前)などが、興味深い。