玄語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この項目の一部の版または全体について、削除の手続きに従って、削除が提案されています。
この項目の執筆者の方々へ: まだ削除は行われていません。削除に対する議論に参加し、削除の方針に該当するかどうか検討してください。
記事の正確さ:この記事の正確さについては疑問が提出されているか、あるいは議論中です。詳しくは、この記事のノートを参照してください。 |
玄語(げんご)は江戸時代の思想家三浦梅園の第一主著。全8冊から成り、およそ160の図を含む。
『玄語』は、陰陽哲学、気の哲学をベースに思考をシステム的に展開したもので、その表現にはおよそ160の図と10余万語からなる文(漢文体)が用いられ、ともに細部に至るまでシンメトリックな構成に貫かれている。『易(易経)』に思想の淵源を持ち、『天経或問』によって江戸日本に伝えられた西欧の天文学に多大な影響を受けている。そのことを直接的に推測できる図が「地冊露部」(地球論・天球論を論じる部)にいくつもある。「本宗」(ほんそう)などは『荘子』の「斉物論」をシステム化したかのような印象を受けるが、その一方「小冊人部」では、儒教的人倫が取り上げられている。
長らく23回目の改訂稿本である「安永本玄語」と24回目の改訂稿本である「浄書本玄語」を編集して全8冊としたものが完成された『玄語』であると思われてきたが、これは梅園没後、長男の三浦黄鶴が梅園晩年の高弟、矢野弘の助言を受けつつ改訂編集したもので、細部に黄鶴の考え違い、恣意的な編集が散見されるものである。『梅園全集』や岩波思想大系68「三浦梅園」の『玄語』は、この黄鶴編集版であるので、これをそのまま三浦梅園の『玄語』と思ってはならない。
全8冊はそれぞれ「本宗」「天冊活部」「天冊立部」「地冊没部」「地冊露部」「小冊人部」「小冊物部」「例旨」と名付けられている。
記述が甚だしく複雑で、独自の用語を用いている上、その用語の定義を自己自身の内部で行うというきわめて特異な性格を持っている。また、限られた文字資源の反復利用の結果ではあるが、同じ文字がまったく異なった意味を持つ場合があまりに多いため、解読・翻訳に多大の困難を生じている。これらは前後の文脈から意味を類推するほかないが、その前後の文脈も同様の性格を持つため、その意味の理解は、あたかも暗号や古代文字の解読の様相を呈することになる。
全体にきわめて論理的に書かれた書物であるが、細部に至るまで厳密に論理的ではなく、形式化した対称性へのこだわりやそのレトリックへの転用などが、一貫したデータ処理を困難にしている。
また『玄語』には、論理そのものを抽出して論じた箇所が見あたらない。数理に関しては初期稿本から既に独立した項目を設けて論じており、最晩年に完成した第2主著『贅語』にも「説数」という項目を設けて論じている。論理の絶対的な妥当性を自覚してはいるが、それを抽出して論じ、発展させようという姿勢が見受けられないのは、日本の思想全般に見受けられる特質である。それは古代ギリシャに端を発する西欧の論理学に比すれば、日本思想における負の特質であり、梅園もその範疇にとどまっている。しかし、構造の一貫性については、強い自覚とともに、実際に、それを書きつづっている。
目次 |
[編集] 陰陽論の近代的合理化としての玄語
未完成に終わったとはいえ、三浦梅園が37年という歳月をかけて『玄語』を書き上げたのは、江戸中期(1700年代半ば)のことである。梅園は、この書の中で、自然界をひとつの有機的全体と見なし、あらゆる部分が相補的な関係の連鎖によって構築されていると考えた。この発想は、多くの面で革新的な内容をはらんでいるが、それは伝統的な陰陽論に立脚するものである。 ただし、天地論については、長崎から流入してきた西欧天文学の影響を色濃く受けており、伝統的な儒教的天地論からは大きくかけ離れることとなった。梅園は、その思想の過程で中華思想と決定的に決別し、独自の天地論を構築した。
『玄語』は、明治45年(1912年)に『梅園全集』が発刊されるまで、半ば忘れられた書物であった。明治になって、内藤湖南や西村天囚によって梅園の業績が学界に紹介されたが、この著作が一般の目に触れたのは『梅園全集』が発刊されてからのことである。しかもこの時点では、『玄語』の稿本改訂履歴が正しく認識されていなかったため、『玄語』という著書名が確定する第10稿に至るまでのいわゆる初期稿本は、『玄語』とは別の著作と見なされていた。これらが『玄語』の初期稿本であることを明らかにしたのは田口正治の詳細な文献調査による。
『玄語』が長く人目に触れなかった最大の理由は、それが出版されなかったことによる。版下本作成など、出版の準備は為されたが、資金不足のため頓挫した。また『玄語』は、あまりに特異な書物であったため、同時代の近隣の学者からも理解されなかった。師にあたる藤田敬所なども、この書に関してだけは批判的であった。
昭和に入ってからは、ヘーゲル弁証法との近似性が指摘され、梅園はいわば「和製ヘーゲル」として一躍学界の注目を浴びることとなった。このような観点からの解釈は日本のみならず、旧ソビエト連邦などでも為されており、同国の百科事典では三浦梅園を日本の代表的思想家のひとりとして紹介していた。むろん、日本の唯物論哲学の代表的創始者としてである。この解釈を生み出したのは、三枝博音(1892-1963)であるが、三枝は昭和に入って初めて『玄語』の自筆稿本を精読した唯一の学者であった。このときまだ30代の若手研究者であったが、三浦家の離れに1ヶ月ほど泊まり込み、一気にその学説を構築した。
また、三島由紀夫の諸作品の翻訳で知られるドナルド・キーン氏は、梅園の思想の独自性に早くから注目し『多賀墨卿君にこたふる書』の英訳(抄訳)を行っている。この書簡は非常に重要なもので、今日では"DEEP WORDS"(Rosemary Mercer著, BRILL社, Holland)で全文の英訳を読むことが出来る。
『玄語』は、ひとつの構造化文書であり、それは二行一対の記述法と、明確な構造を持つ図に端的に表現されている。図は、あたかも文字曼荼羅の様相を呈している。しかし、三枝が、その代表的研究書である『三浦梅園の哲学』において、図を完全に削除したことに端を発してか、『玄語』研究においては文に比して図を軽視する傾向が生まれ、梅園がこの著書全体をひとつの構造化文書として構想していることは指摘されなかった。
精緻な体系化が成し遂げられている点においては、『玄語』は日本史における異例の著作であるが、それは『玄語』が、仏教・儒教・道教などの伝統的思想の近代的合理化として成立したことと無縁ではない。30歳になって「条理」を発見するまでの梅園の知的空白の中での彷徨を窺うと、そこに日本における近代の胎動と誕生を見ることができる。むろんそれは同時代の他の思想家においても同様である。
また両子(ふたご)の里と言われる生地から生涯ほとんど離れることなく、みずからを「両子山人」とも称していた。世界全体を2分岐の連鎖によって関係づけようとしたその思想が、風土の影響を色濃く受けていたことが分かる。体系を十分に精緻なものとして作り上げるに足る知的素材と強靱な思考力、それに加えて思想を育むに足る特異な風土があったものと推測される。思想と風土の関係を知る上でも、『玄語』は貴重な素材である。しかし、その時間論・空間論はおよそ伝統思想とも風土ともかけ離れたもので、ここには天才の独創を見るほかない。
[編集] 『玄語』における相補性
『玄語』に一貫する発想は「相補性」である。これを梅園は「相依」(そうえ)と書いている。「相依」は、仏教などに見られる思想であり、六郷満山と言われる国東地方に生まれた梅園の思想が、その地域性の故に必然的に持つことになった基本的発想のひとつである。「相依」とは互いに依拠し合うということである。これは「相反」(そうはん。互いに反する)と並んで、『玄語』全編に貫徹する思考の原理である。
- 剖対反比図一合(ぼうついはんひずいちごう)
『玄語』の基本構造が二分木構造(binary tree)であることを示す。2図の中央で折り合わせて重ねる図である(中央に本の綴じがある)。
- 経緯剖対図(けいいぼうついず)
これらの図は、水面に広がる輪のように際限なく続くものである。このような構造は、論理的関係としては「反合成全」と言われ、それを認識するための技法として「反観合一」が用いられる。これは一見するところ、ヘーゲルの弁証法で言われる「対立物の闘争と統一」に近似している。この類似性を発見したのは、既述のごとく三枝博音である。三枝は、昭和16年に刊行された『三浦梅園の哲学』で、梅園の思想をヘーゲル弁証法と同一のものとして学界に紹介して多大な支持を得、その後数十年にわたって、梅園の思想を日本の弁証法哲学の嚆矢とする説が学界の定説となったが、その論拠となる文が『玄語』の中に書かれていないことが判明したため、今日では、この学説の成立根拠自体を疑問視する研究者もいる。
[編集] 『玄語』の階層構造
玄語は、二分木(binary tree)を基本の構成としているが、ファイル名は、多分木(multiway tree) になっている。そしてファイルは白の傍点と黒の傍点で一対になるように書かれている。これは玄語全体にわたってかなり厳密に守られている記述法である。つまり玄語は木構造 (データ構造)を持っているのである。それに加えて160余の図がある。これらは 以下のような関係にある。これから玄語が全体としては具象的な樹形モデルになっていることが分かる。つまり『玄語』は世界を樹形モデルとして描こうとした書物である。
このことは、梅園自身が書いた体系図(ここでは浄書本のそれを挙げる。安永本も基本は同じ)からも窺えるが、「本宗」「天冊活部」「天冊立部」「地冊没部」「地冊露部」「小冊人部」「小冊物部」の各冊の内部にも2分木から多分木へ向けての階層化が為されている。最晩年に完成した『贅語』との照合からして、梅園が『玄語』の細部までを階層化したのは、少なくとも安永四年本成立後のことであると推測される。
例として、「地冊没部」の内部の階層を示す。体系の全体は、図では言明不能な一者 であるとして表現不能の白紙として示される。この白紙には「一不上図」と書かれているが、『梅園全集』では、この白紙の図が欠落している。これがラッセルの逆理に陥る自己包越者(無限定的全体性)であることは、末木剛博の論文「梅園とヘエゲル」(梅園学会報第15号)に指摘されている。梅園が体系の全体を不可知のものとし、いかなる主観的表象も立てなかったことには、驚くべき近代性を見ざるを得ない。
一不上図
|
├- 地冊 (これは二冊二部から成る)
| |
| ├- 没部 (これは1787-88年に書かれた。これに対応して露部がある)
| | |
| ├- 天界の冊
| | | |
| | | ├- 宇宙
| | | | ├- 四界
| | | | ├- 通塞
| | | | ├- 今中
| | | | ├- 気物
| | | | ├- 人境
| | | | ├- 覆載之経緯
| | | | ├- 循環鱗比
| | | | └- 宇宙の図
| | | | ├- No.069 四界図
| | | | ├- No.070 宇宙転持図/宇宙図
| | | | ├- No.071 宇宙方位図/時処今中図
| | | | └- No.072 時処気物図
| | | |
| | | └- 方位
| | | ├- 方位
| | | ├- 形体
| | | ├- 四紀
| | | ├- 中外
| | | └- 方位の図
| | | ├- No.075 中外方位図
| | | └- No.076 大小方位図
| | |
| | └- 機界の冊
| | |
| | ├- 転持
| | | ├- 動静
| | | ├- 本通塞神物
| | | ├- 歳運転時
| | | ├- 入形理
| | | ├- 天地水火
| | | ├- 運転GH
| | | ├- 天象運行
| | | ├- 小物
| | | ├- 委曲入機
| | | └- 転持の図
| | | ├- No.077 形理転持図一合(表)
| | | ├- No.078 形理転持図一合(裏)/神物入機図
| | | └- No.079 転持方位図
| | |
| | └- 形理
| | ├- 形理
| | ├- 正形
| | ├- 入斜
| | ├- 塊L邪曲
| | ├- 総論
| | └- 形理の図
| | ├- No.080 形理正斜図
| | └- No.082 大小形理図/形位相合図
| |
| |
(天冊以下略。階層全体は三浦梅園資料館刊行の『玄語』目次で見ることが出来る。)
これからして、『玄語』は、二分木、多分木、ファイル名、文、図によって、語が配置または配列された書物であることがわかる。語は、現実に存在する個物、または個物相互の論理的関係、またはその時系列での関係としての事象に一対一に対応する。これらの語は、世界を構成する要素に貼り付けられた名札であるが、あくまでも『玄語』の論理に合致するように命名されているため、時として読む者を幻惑する。太陽中心の光熱圏を指示する「華」(か)と地球中心の水冷圏を指示する「液」(えき)などが良い例で、その語が指示する対象を把握できるまでは意味不明であるような語がきわめて多いが、図との対応付けで意味が明らかになる場合もある。たとえば「華」は下の「日影図」(中心は太陽)、「液」は下の「天地図」(中心は地球)の中の「水」(すい)と「燥」(そう)を意味している。「水」は地球を取り巻く海洋、つまり水球のことで、「燥」は、大気圏を意味している。これが一対一の対応関係に置かれる。ここには、ガリレイやニュートン以降の西欧的天文学とは性質をまったく異にする天文感が構築されている。これは天動説か地動説かの二者択一を必要とした近代西欧とは、まったく異なる思想的文化的脈絡の上に成り立つものであるが、古代ギリシャにまで遡ると、類似の発想を見つけることが出来る。
梅園は、地表の生命の世界から、天球に至るまでの宇宙をただひとつの構造(条理)によって構成しようとし、体系の内的な整合性においては、これに成功していると見られる。ただし、科学的実証に耐えるか否かの検証はなされていない。この図は、「本宗」(ほんそう)に描かれているが、階層的には、「地冊露部」に属するものである。「地冊露部」では、天球に至るまでの宇宙空間が記述されている。「本宗」は、総論と思われがちであるが、実際は「天冊」と「地冊」のダイジェストとして「小冊」に対峙するものであるから、決して『玄語』全体の総論であるわけではない。したがって、この図が「本宗」に属することになんら矛盾はない。梅園は小冊に対峙するものとして、「本宗」を「大冊」とも名づけているが、むしろ「小冊」(地表の物体と人倫を扱う)が、書物の構成上、これに対峙する「大冊」としての「本宗」を必要としたとも考えられる。
天地図と日影図
同様に難解な例として、類的同一性を指示する「本」(ほん)、それを個物に結実させる物質を指示する「物」(ぶつ)、個物を成立させる精妙な機構を指示する「精」(せい)、個物を通じて発現される類的特質を指示する「英」(えい)などの語を含む文は、ほとんど意味不明の様相を呈する。次のような文がそれである。
233: 若し気物体性の本根精英を為すに非ずんば、
234: 則ち豈に相い依って一を成さんや。
(行番号は三浦梅園資料館刊行の『玄語』と同じ)
これは、「もし、気物体性が本根精英を為すのでなければ、どうして互いに依拠し合ってひとつのものを構成することが出来るであろうか?」という意味であるが、そもそも「気物体性」と「本根精英」という語の意味が分からなければ、この文の意味は不明である。そしてこれらの語の定義が『玄語』のどこで為されているかを、梅園は明記していない。彼は、自分の造語の定義を明示することなく、その語によってひとつの書物を書き上げてしまっているのである。これが何かの知的伝統に由来するものなのか、あるいは、思想表現のための不可避の手段として梅園が独自に考案したものであったのか未だに不明である。
[編集] 『玄語』の語法
『玄語』において用いられる用語は原則として一義一語であり、二語一義は例外である。たとえば「天地」とあれば「天と地」のことであり、「宇宙」とあれば「宇と宙」のことであり、「経緯」とあれば「経と緯」のことである。そして前後の語は、相反性を持つことが多い。
梅園は「宇」と「宙」を別々に定義している。その定義によれば「宇」は空間のことであり、「宙」は時間のことである。従って「宇宙」は「空間と時間」の意味であることになる。このような例は枚挙にいとまがない。
たとえば、「天有天地天神」(天は天地天神を有(う)す)という文がある。いま相反性を'-'で示し、一組の語であることを( )で示すことにすると、天地は(天-地)、天神は(天-神)と書ける。(天-地)と(天-神)は、相反性を持つので、(天-地)-(天-神)と書ける。最初の天は 高次の概念であるので、結局この文は、
天[(天-地)-(天-神)]
とかけることになる。この文に対応するのが天神天地図(てんしんてんちず)である。図の中央の「一」がこの文では「天」になっている。この3個の「天」は、意味がまったく異なる。
もうひとつ例を挙げる。
4387: 天成東西南北〉則
4388: 人成前後左右》
4389: 天成転持動止〉則
4390: 人成行居睡覚》
(数字は三浦梅園資料館発行の『玄語』の行番号。 〉は黒の傍点の、》は白の傍点の代用記号。以下省略する。)
は、
4387: 天成[(東-西)-(南-北)]則
4388: 人成[(前-後)-(左-右)]
4389: 天成[(転-持)-(動-止)]則
4390: 人成[(行-居)-(睡-覚)]
と書き換えられる。かつ、4387-4388、4389-4390 という相反性があるので、「則」を'-'に置き換え{ }を使ってまとめれば、
4387-4388: {天成[(東-西)-(南-北)]}-{人成[(前-後)-(左-右)]}
4389-4390: {天成[(転-持)-(動-止)]}-{人成[(行-居)-(睡-覚)]}
となる。
「成」という共通の語があるので、この4行はひとつのブロックを構成していることが分かる。もしこれを、
- 天は東西南北を成せば、則ち人は前後左右を成し、天は転持動止を成せば、則ち人は行居睡覚を成す。
と読んだのでは、文の構造が分からなくなる。しかし、これが梅園の読みの指示なのである。つまり、梅園は、意図的に文の構造を隠したのである。
また、「精体」のように前の語が後ろの語を形容する場合も多々あれば、「天容」のように後ろの語が前の語を形容する場合も多々ある。前者は「精なる体」を示し、後者は「容るるところの天」を示している。
『玄語』の解読においては、このような語法に習熟することが要求されるので、2語または4語の熟語や文が、どのような語法を持っているかを解明することが、解読の鍵となる。
そのひとつの例として「文章」という語を挙げる。これは通常「ぶんしょう」と読む。漢文としてもそのように読む。しかし、この語は『玄語』の他の語と同じく相反する2語からなる造語であり、「天文」(てんもん)と「地章」(ちしょう)という語の省略形であるので、読みとしては「もんしょう」と読む方が、適切である。つまり「文章」は、「天文地章」(てんもんちしょう)から「天地」を省いただけの語である。
「天文」は天文学でいうそれと同じ意味である。ただし、『玄語』においては、観測天文学の域を超えていない。「地章」は、地学・地理学であつかう地球表面の模様である。つまり「文章」(もんしょう)は、天の模様と地の模様という意味であり、それぞれ天文学と地理学が最初の研究対象とするところのものである。
しかしながら、このような『玄語』の独自の造語は、一読して理解できるものではない。『玄語』は漢文法に従って書かれているが、それは『玄語』が漢文であることを意味してはいない。『玄語』はそれが独自に定義する語を、図においては図法によって、文においては漢文法によって、それぞれ配置・配列しているに過ぎない書物である。その意味で極めて例外的な著作であると言える。
[編集] 『玄語』の論理学的基礎
『玄語』の論理は、末木剛博の3つの論文によって包括的に論じられている。末木の論文は以下の会報に掲載されたものである。
- 玄語の論理(1)-その方法論- (梅園学会報第 7号所収)
- 梅園とヘエゲル (梅園学会報第15号所収)
- 西田幾多郎と三浦梅園 (日本哲学会第44回大会特別報告:哲学35所収)
これらはいずれも貴重な論文であり、『玄語』の論理の特徴をほぼ論じ尽くしている。1.において末木は梅園の業績をウイン学団と対比して特徴づけている。梅園が論理実証主義の立場に立つに至ったのは驚くべきことであるが、これは江戸中期における日本の知性が到達した合理性のひとつの典型と見ることもできる。
末木は、「玄語の論理(1)」で、
- 〔6〕反観合一は反合の論理を使用することであるが、その「反合」または「反
- 合成全」(玄、本宗-Z、[上]、P20、a)とは排中律に該当する。それにつ
- いては後に更めて論ずるが、簡単に言えば、排中律とは
- p∨~p ・・・・(F1)
- という恒真式(tautology)である。(たゞし、「p」は命題、「~」は否定、
- 「∨」は選言を意味する。)
と述べている。そうであるならば、たとえば上出の緯剖剖対図に書かれている細線(ふたつの「一」を隔てる線)が、選言(∨)に該当することになる。この細線は大半の図に存在する。ここから『玄語』の図(「玄語図」と言われる)が、梅園独自の論理表現であることが推測されるが、未だ検証はされていない。
ただし末木自身は図と論理の対応づけを行ってはいない。末木が明らかに対応づけたのは「反合」または「反合成全」と排中律であるから、これは概念と論理の対応付けである。経緯剖対図そのものは『玄語』の数理に関する図であるので、排中律に対応するか否か不明であるが、語(概念)を書き込んだ図の多くに形式的な一致を見ることが出来る。たとえば、下の神物剖析図などがそれである。
また末木は、同論の中で次のように指摘している。
- 五、積極的方法論 (3)
- --旋転観--
- 〔一〕『玄語』で用いられて居る論理的方法は反観合一と推観との二種であるが、
- この二つから導かれるものとして第三種の論理的方法がある。それが「旋転観」
- である。これは基本的な方法ではなく、派生的なものであるが、彼の全思想に対
- する意味は極めて大きいものである。
- 〔二〕旋転観とは視点を移行する相対的な見方である。曰く、
- 「旋転シテコレヲ観レパ、所トシテ左ナラザル無ク、所トシテ右ナラザル無シ。
- 上下シテコレヲ観レバ、所トシテ高カラザル無ク、所トシテ卑カラザル無シ」
- (玄、小冊-Z、[上]、P207、a)。
- つまり向きを変えれば、右のものが左になり、左のものが右になる。逆立ちすれ
- ば上のものが下になり、下のものが上になる。このようにあらゆる事物がその視
- 点を移すことによって反対の性質に変ずるというのである。
- 〔三〕この旋転観は『玄語』の随処に見られるが、たとえば次のような一文もあ
- る。
- 「散ヨリシテ天地ヲ観レバ、則チ天地モ亦萬物也。一ヨリシテ萬物ヲ観レバ、則
- チ萬物モ亦一也」(玄、天冊-Z、[上]、P97、a)。
- すなわち全体・部分のような基本的な区別もまた視点を変換することによって逆
- 転するというのである。何故かといえば、天地はそのなかに含まれる万物に対し
- て全体であるが、他の諸概念と並べて考えればより包括的な類概念の一切にすぎ
- ないこととなり、また天地のなかの一部にすぎない個々の事物(万物)もその内
- に含まれる諸々の部分に対すれば一個の全体となるわけである。
これは、『玄語』における相補性をよく示している。
しかしながら、考慮すべきは、梅園の思想が易(えき)に淵源する中国思想の近代的合理化として成立したという点であり、それが部分と全体を別のもの見なす西欧の伝統的思考とは、その基本において異なると言うことである。梅園はもとより他の近世日本の思想家たちは、西欧の合理主義が大規模に流入する以前に、すでに独自の知性によって、みずからの近代的合理化を達成していたのである。その知的基盤が、近代西欧の需要を可能にしたと考えられる。
[編集] 出版された『玄語』の問題点
出版された『玄語』は影印版を含めて5種類ある。時代順に並べてその構成を見る。ただし、すべてを厳密に検証したわけではないので、部分的な間違いはありうる。どの版も基本は三浦黄鶴(こうかく。梅園の長子)の以下の編集と基本的には変わらないと思われる。
- 第一巻 本宗 浄書本
- 第二巻 天冊活部 安永本
- 第三巻 天冊立部 安永本
- 第四冊 地冊没部 浄書本
- 第五冊 地冊露部 浄書本
- 第六冊 小冊人部 安永本
- 第七冊 小冊物部 安永本
- 第八冊 例旨 安永本
黄鶴の編集では、自筆本の二行分かち書きを一段落としの段落に変更している。おそらく二行分かち書き(割注形式)ではいささか見づらいし、彫りづらいことを考慮してのことであろう。この方が見やすくなるのであるが、梅園の意図とは異なっている。『玄語』を編集し完成させることは黄鶴の生涯の仕事となったが、最後まで完成に至らず、用語と構成との不統一がそのまま残されている。
- 全集版『玄語』(『梅園全集』上巻所収。大正元年刊。昭和45年復刻)
黄鶴の編集と大差ないことは、写本939との突き合わせによって明らかであるが、「小冊物部」は底本がどれであるのか分からない。また全体が、編者の独自の編集版である可能性もある。この版の最大の問題点はあまりの誤植の多さにある。多くの三浦梅園研究者は、誤植の訂正すらしないまま、長らくこの版に従って研究を続けてきたのであるが、底本不明で誤植だらけの資料を使ってどうやって研究してきたのか理解できない。また、図の配置が原著とは異なり、開く、透かすという行為で、二図一組の図の構成を示そうとした梅園の意図は伝わらない。図の配置は編集不可能である。記述の対称性は、当然ながら見えない。もっとも自筆稿本でもそれは見えない。梅園は記述の対称性を、おそらくは意図的に隠したようである。下書きがあったはずであるが、残されていないようである。
- 三枝博音和訳『玄語』(『三浦梅園の哲学』所収。昭和16年刊)
基本の編集は同じであると思われる。単なる訓読版であるが、当時は訓読を和訳と称していた。読みは梅園の指定した返り点送りがなに忠実で、誤植もほとんどない。ただし記述の対称性がまったく見えない。巻末に自筆本の写真版がついているが、如何なるわけか図が意図的に削除されている。政治的な理由か、出版費用の不足か、紙の不足か、軍部の圧力か何かがあったのか不明である。
戦後、三枝氏が華々しく復権し、日本科学史学会会長、横浜市立大学長、日本学術会議(部門会)委員長などの要職を歴任するとともに、1953年に九州大学より同訓読版を収めた『三浦梅園の哲学』によって文学博士号を授与された(主査=楠本正継・中国哲学科主任教授)。その結果、『三浦梅園の哲学』が梅園研究の決定版として遇されるに至った。この為、後学の梅園研究者の中には全集や各種資料集掲載の『玄語』に図が含まれていることを調査することなく、『三浦梅園の哲学』に載せられた図版抜きの訓読版『玄語』によってのみ研究論文を書く者も現われたほどである。
ノーベル物理学賞を受賞した故湯川秀樹博士は、長年同書を読んでいたが、図があることを知らなかった。これは事実である。晩年、梅園家を訪れたとき、原著に図があることを知り、またその図の発想が原子モデルに近いことを直感し、周囲が驚くほどの驚きようであったという。荘子など、東アジアの思想家たちに興味を持ち、深い哲学的洞察力を備えていた湯川博士が、図と文が揃った『玄語』をこのとき初めて知ったというこの事実は、研究史における大きな知的損失であった。図を削除するという三枝の行為は、いかなる事情があるにせよ、学問的には理解困難で、その後の研究に大きな混乱と損失をもたらしたのである。
その後、湯川は『玄語』研究に没頭し、そのナレーションで、NHKから2度ほど梅園の人と思想が紹介されたが、ほどなく癌に倒れ、梅園が広く日本に知られる機会を逸してしまった。
- 岩波版『玄語』(岩波日本思想体系41所収。田口正治校訂)
同書376頁〔翻刻要領〕(1)に、
- 版下本を底本としたが、版下本がなく、浄書本のある部分は浄書本、版下本・浄書本ともにない部分は安永本によった(但し、形式は版下本に倣った)。
と書かれている。したがって、この版の本文には、黄鶴の編集の不統一がそのまま反映されている。写本939には、触れられていない。田口はこのときこの既に高齢で、写本を詳細に調査することができなかったのであろう。この写本は、体裁の良く整った資料として貴重であるが、これには、自筆稿本にある返り点・送りがなが、まったく書かれていない。また「發」を「発」とするなど、字体を写本制作者が任意に改めているが、これは江戸期においてはめずらしいことではなかったらしい。
- 三浦梅園資料館出版・総ルビ訓読版『玄語』(三浦梅園資料館。平成10年刊)
下記の電子テキストのうちのBTRON版『玄語』を印刷したものを本文とし、これに原著の通りの配置で図を復元したものである。記述の対称を見やすくするため、梅園指定の返り点・送りがなは採用していない。視覚的・直感的な見やすさを優先した結果であるが、これはこれで問題である。総ルビ版であるので、専門外の人に読めるという利点がある。
この版は『梅園全集』・杵築梅園文庫の写本939・自筆稿本を照らし合わせつつ、二行一対 という『玄語』の記述法を基準にして最適と思われる文を採択している。ただし、「小冊物部」 は全集版によっている。これはこの電子テキストが、浜田晃氏作成の全集版翻刻に由来している こと、および、準拠するには自筆稿本・写本939とも抹消が甚だしく、底本となしえないことによ る。写本939はWebで閲覧できる。
校異は原文校訂を担当した五郎丸延(ごろうまる ひさし)氏によって、かなり正確に記されている。この版(および影印版)以外の印刷版では、図が勝手に配列されていて、見開きで一対、透かして一対という「一合図」の配置を見ることができない。つまり、梅園は、印刷媒体というメディア形態の特質そのものを表現の手段としているため、図の配置だけは再現することしかできないのである。
この資料には、CD-ROMが付録としてついている。原文、訓読ともにプレーンテキストとして収録されているので、検索作業が容易にできる。印刷版と電子文書は、行番号が統一されているので、原文を検索したあと、その行番号を見れば非表示漢字・旧漢字の確認ができるようになっている。また写本939を参照することもできる。これは、原文校訂を担当した五郎丸延氏提供の初期の乾式コピーをスキャナで取り込んだものなので、写りがいささか悪いが、参照するには問題ないと思われる。
従って、三浦梅園資料館から出されたこの資料は、
- 原文版と訓読版の検索用テキスト、および『玄語』の階層構造を示したCD-ROM
- 視覚的対称性を確認しながら読むことのできる旧漢字総ルビ版の訓読印刷版
- 同じくCD-ROMに収録された写本939
を相互に参照することを前提に制作されたものであるので、印刷物として完結したものではなく、ひとつの研究システムとして提供されているものである。
これに電子テキスト化された『玄語』がある。
- 全集版『玄語』の電子テキスト(浜田晃氏制作)-全集版そのままであるので誤植の訂正が為されていない。-
- DOS版『玄語』(三浦梅園資料館発行CD-ROM所収)-プレーン・テキストによる原文・訓読版である。S-JISを用いているので、文字コードにない漢字は記号に置き換えられている。-
- HTML版『玄語』(三浦梅園資料館発行CD-ROM所収)-上記DOS版を編集したもの。訓読が検索に適するよう改竄されている。-
- BTRON版『玄語』(三浦梅園資料館発行CD-ROM所収)-三浦梅園資料館刊行の『玄語』の電子版(総ルビ版)。TRON codeを用いているのですべての漢字が正しく表示される。-
- 同web版-BTRON(超漢字)版『玄語』を画像化した原文版と総ルビ訓読版(の2種があり、インターネットを通じて自由に閲覧できる。
これらと別の試みとして、自筆本・付箋集の影印版がある。これは、現在では散逸して見ることのできない資料を収録していることからしても、自筆稿本類と同等の資料上の価値があると言える。ただし自筆稿本は訂正・抹消が甚だしく、判読困難なところが多々ある。また一部、欠落もある。
- 『三浦梅園資料集』(上下) ぺりかん社 (五郎丸延 解説) 平成元年
これには、
- 自筆『玄語 安永本』八冊・『玄語 浄書本』三冊
- 三浦黄鶴・矢野弘「附箋集」(附箋の収集は五郎丸延氏による。)
が収録されている。いまのところ、この資料集によってしか23回目の改訂版である安永本と24回目の浄書本の本来の姿を見ることはできない。
また図だけを集めた影印版もある。
- 『玄語図全影』(辛島詢士編 自費出版)
この本の問題は、出版部数が300部と少ないこと、また、2図1組の図の配置が勝手に縦並びにされていることである。これは見開きや透かしで2枚の図がひとつの図になるという原著の意図をまったく損ねてしまっているため、影印版でありながら、著しくその存在価値が薄れてしまった。
三浦家所蔵、資料館寄託の自筆本玄語は、展示状態以外での一般の閲覧は不可能である。全著作集が電子画像化されているが、当面、一般の来館者が見ることは出来そうにない。しかるべき立場にある研究者が、しかるべき経路を通じてであれば、可能かも知れない。これは、当該著作(その他梅園自筆稿本すべて)の所有権が、現在の三浦家にあることに由来している。
以上からして、
- 三浦梅園は、『玄語』を完成していない。
- 長男である三浦黄鶴がそれを編集して完成させようとしたが、最後まで完成に至らず、用語の不統一、構成の不統一などの問題は解決されなかった。
- 『梅園全集』(上下)発刊以後、いくつかの印刷物が三浦梅園の著作である『玄語』として刊行されたが、いずれも厳密性・再現性に多大の問題を抱えたもので、それに準拠して研究することには困難がある。
- 三浦梅園資料館出版の『玄語』が、電子文書との連携、全集版および写本939との対応付けの容易さからして、いまのところ、もっとも扱いやすい。
- 専門家が文献学的に精緻な研究をするには『三浦梅園資料集』(上下)が必要不可欠である。
- 電子化された自筆稿本類の画像データが一般に公開されれば、研究状況が改善するかも知れない。
と言える。