ルー・テーズ
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ルー・テーズ(Lou Thesz、本名:アロイジャス・マーティン・ルー・テーズ Aloysius Martin Lou Thesz、 ハンガリー語名はティヤシュ、ラヨシュ Tijas,Lajos、 1916年4月24日 - 2002年4月28日)は、ミシガン州バナットのプロレスラー。
日本では「鉄人」の異名をとり、多くのレスラーから20世紀最強であるといわれた、不世出のレスラーである。191cm、110kg。ジョージ・トラゴス、アド・サンテル、エド・ルイスなどにプロレスを教えられる。
よく、強さではカール・ゴッチと並び賞されるが、ゴッチがひたすらに強さのみを求め、プロレス界から干されようともその考えを曲げなかったのに対し、テーズは自分の強さをアピールしつつ、あえて対戦相手に花を持たせるバランス感覚も持っていた。
1991年の第15回アメリカ横断ウルトラクイズの罰ゲームで敗者二人の相手をしている。この時テーズ自身は75歳であったが、2人を圧倒してしまった。また自らの回顧録で自分の来日時の写真があるが、70代とは思えない(というより普通の若い人でもまず出来ない)事をしていて「鉄人」ぶりを見せつけている。
漫画およびテレビアニメ『タイガーマスク』には「ルー・ケーズ」という彼をモデルにしたレスラーが登場する。どちらかというと「日本人レスラーの敵=悪役」というイメージであり、テーズスペシャルスマッシュ(拳によるパンチ?)を多用している。
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[編集] 来歴
- 1916年4月24日、オーストリア・ハンガリー帝国のハンガリー人の靴修理工であるアマチュアレスラーのマーティン・テーズ(Martin Thesz)を父に、母はドイツ人の息子として誕生。姉は3人。
- 1933年9月 - 16歳でミズーリ州のセントルイスハリー・クック・アリーナでジョン・アンダーソンとプロレスデビュー戦、引き分けた。
- 1936年 - ミズーリ州セントルイスのジムにてエド“ストラングラー”ルイス(後年専属マネージャーへ)と出会う。
- 1937年12月29日 - エベレット・マーシャルを破り、弱冠21歳でMWA世界ヘビー級王者となる(ミズーリ州セントルイス)。1938年1月25日AWAの世界王者認定。
- 1939年2月23日 - ミズーリ州セントルイス(またはコロラド州デンバー)でエベレット・マーシャルを破り、NWA世界ヘビー級王座となる。
- 1939年6月23日または7月19日 - テキサス州ヒューストンでブロンコ・ナグルスキーに破れNWA王座から陥落。
- 1943年 - アメリカ合衆国陸軍に入隊、体育教官となる。テキサス州ヒューストン駐屯地で約4年間すごす。
- 1946年9月11日 - カナダ・モントリールでボビー・マナゴフを破り、モントリール版AWA世界ヘビー級王座を獲得。
- 1947年2月20日 - 同地でボビー・マナゴフに敗れ王座陥落。
- 1947年4月16日 - 同地でボビー・マナゴフを破り、モントリオールAWA世界ヘビー級王座を獲得。
- 1947年11月26日 - 同地でユーボン・ロバートに敗れ同王座から陥落。
- 1947年4月25日 - セントルイスでホイッパー・ビリー・ワトソンを破り、NWA世界ヘビー級王座を獲得。
- 1947年11月21日 - セントルイスでビル・ロンソンに破れNWA世界ヘビー級王座から陥落。
- 1948年7月20日 - ビル・ロンソンを破り旧NWA世界ヘビー級第23代王者(NWA通算で第38代王者)となる。連勝記録の始まり。
- 1949年11月 - 新NWAによる王座の正当化により、第38代王者(新NWA第2代王者)と認定される。過去獲得したものも第23、26、36代(旧NWAでは8、11、21代)として認定される。
- 1955年5月22日 - レオ・ノメリーニに反則で敗れ、テーズの連勝記録がとまる。記録は引き分けをはさんで936連勝。なお、タイトルのほうは反則負けの為王座移動はなし。
- 1956年3月 - ホイッパー・ビリー・ワトソンに敗れ第38代NWA王座から陥落。
- 1957年10月 - 日本プロレスに初来日。力道山とNWA世界ヘビー級選手権で2度にわたり名勝負を繰り広げる。
- 1957年11月14日、トロントでディック・ハットンに破れNWA世界ヘビー級王者から陥落。
- 1958年6月 - 世界各国を回り積極的に防衛を重ねた実績が認められ、NWA本部からインターナショナルヘビー級初代王者に認定される。
- 1958年8月27日 - 力道山に敗れてインターナショナルヘビー級王座陥落。
- 1966年2月28日 - 日本プロレスに特別参加で来日し、ジャイアント馬場の持つインターナショナルヘビー級王座に挑戦する。結果は馬場が2度目の防衛に成功。
- 1967年6月 - 初代TWWA世界ヘビー級王者に認定される。
- 1968年1月 - 国際プロレス(当時はTBSプロレス)に来日し、グレート草津のTWWA世界王座の挑戦を受けるが、1本目で実力を見破り、バックドロップで草津を失神させる。2本目は棄権、テーズが防衛に成功。草津をスターに仕立てようとするTBSの目論みは失敗に終わった。
- 1975年10月 - 新日本プロレスに来日し、アントニオ猪木の持つNWF世界ヘビー級王座に挑戦する。
- 1976年8月15日 - 前年に旗揚げされたUWAから、初代UWA世界ヘビー級王者に認定される。
- 1986年 - 右臀部を手術する。以後レスラーとしてはセミリタイヤ状態となる。
- 1990年12月26日 - 日本での最後の試合。蝶野正洋と対戦し敗れる。その後現役を引退。
- 2002年3月9日 - 妻チャーリーとともに来日。UWFスネークピット代表の宮戸優光の結婚式に出席。
- 2002年4月28日 - フロリダ州オーランドの病院で心臓バイパス手術を受けたが、肺炎を併発させて心臓疾患にかかり死去。享年86。
[編集] 主な得意技
- バックドロップ … テーズはこの技の元祖であり、威力を世界中に広めたレスラーである。後にアントニオ猪木やジャンボ鶴田が使用し広く他のレスラーに浸透するヘソ投げ式と、ブリッジをかけない落とし方の2種類を使い分けた。ヘッドロックの返し技としてもよく使用していた。高角度であり、テーズが活躍していた時代は使用するマットが硬かったため、それも手伝って高い威力を持つ必殺技であった。現在は必殺技としての説得力は高いとはいえないが、多くのレスラーが様々な投げ方で使用するポピュラーな技として定着している。かつては岩石落とし 、脳天逆落としなどと訳されることもあった。
- フライング・ボディシザース・ドロップ(テーズ・プレス) … 詳細はリンク先参照。
- リバース・スラム(一種のパイルドライバー) … テーズのパイルドライバーはパワーボムの原型となったもので、高角度で抱えておいて落とすものであった。危険な技で日本では使用されることはなかったが、力道山がこの技を受けている。テリー・ゴディにこの技を伝授し、ゴディはさらに改良を加えてパワーボムとして自らの必殺技とした。
- STF … 詳細は技名についているリンクを参照。蝶野正洋に伝授し、蝶野は改良して自らの必殺技として定着させた。
- ヘッドロック … この技を利用して相手を誘い、バックドロップに導く。
- ダブル・リストロック … 「チキンウイング・アームロック」とも呼ばれるが、テーズは項目表記の名にこだわる。詳細はリンクを参照。
- テーズスペシャルスマッシュ … 空手で言う弧拳。直角に曲げた手首の骨で相手を殴打する技。拳ではないので当然ルール上OK。見た目以上にとてつもない痛さであるという。相手がラフファイトを仕掛けてきたときの報復に使用し、大木金太郎の額を叩き割ったこともある。また、乱闘では拳でのパンチを使うこともよくあり、リング上での殴り合いではダニー・ホッジを除けば誰にも負けないと言っていた。
[編集] 主な獲得タイトル
- NWA世界ヘビー級王座…第23、26、36、38、40、44代王者
- 第38代王者の在位期間は7年
- インターナショナル・ヘビー級王座…初代王者
- WWA認定世界ヘビー…第21代王者
- TWWA認定世界ヘビー…初代王者
- UWA世界ヘビー…初代王者
- NWAテキサスヘビー級
[編集] ベストレスラー
ルー・テーズのあげる闘った中でのベストレスラー。
[編集] 著作
- 『Hooker』
- 日本語編訳(直訳ではない)『鉄人ルー・テーズ自伝』(流智美 訳、ベースボールマガジン社、ISBN 4583031955C0075)
[編集] DVD
- 『世界のプロレス レトロ編#2 ル-・テ-ズ最後の勇姿』
- 『世界のプロレス レトロ編#3 鉄人ルー・テーズ 完結編』 ASIN B00074C4R6
- 『ルー・テーズ対力道山 世界選手権争奪戦 』東映 ASIN B00061QW5U
[編集] 外部リンク
カテゴリ: アメリカ合衆国のプロレスラー | 1916年生 | 2002年没