ルカによる福音書
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ルカによる福音書(―ふくいんしょ、ギリシャ語:Κατά Λουκάν Ευαγγέλιον、ラテン語:Incipit Evangelium Secundum Lucam、英語:The Gospel According to Luke)は、新約聖書中の一書で、イエス・キリストの言行を描く四つの福音書のひとつ。マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書(以下ルカ福音書)の三つは共通部分が多いことから共観福音書とよばれる。
福音書中には一切著者についての言及はないが、『使徒言行録』と同じ著者によってかかれたという伝承については現代の学者たちも可能性が高いと考えている。(このため、ルカ福音書と使徒言行録をあわせて「ルカ文書」と称することもある。)伝承ではルカ福音書の著者はパウロの弟子のルカという人物で『フィレモンへの手紙』に名前が出る人物であるとされてきた。
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[編集] 著者と対象読者
聖書学者ユード・シュネルは『新約聖書 その歴史と思想』において「ルカ福音書と使徒言行録は、言葉の使い方からも、その思想的色合いからも強い関連性が見られ、おそらくは同じ著者によるものであろうと考えられる」と語っている。このことから本来ルカ福音書と使徒言行録は一冊の本であったものがある時期になって分割されたという説も有力とされている。
著者はイエスの生涯を自らの目で見たということは一言も言っていないが、すべてを丁寧に調べあげ、事実を順序だてて書き記したということを冒頭で述べている。マタイ、マルコ、ヨハネといった福音書には共通の資料があると考えられてきた。現在の学会でもっとも広く支持されている二資料仮説によれば、ルカ福音書の資料となったのはマルコ福音書と今では失われたイエスの言葉集であったとみなされる。この言葉集のことを「Q資料」という。Qとはドイツ語で「源泉・資料」をあらわす「Quelle」に由来している。
広く認められている説では、ルカ福音書は非ユダヤ人キリスト教徒のためにギリシア語で書かれたとされる。ルカ福音書は著者の支援者である「テオフィロ(ス)」なる人物にあてられている。
[編集] 成立年代
ルカ福音書の成立年代は未詳だが、紀元80年から130年までの間にかかれたことは確かであろう。
[編集] 伝統的な成立時期の説
伝統的には、キリスト教徒はルカが(直接ではないにせよ)パウロの指導のもとに福音書を書いたとみなしてきた。使徒言行録がルカ福音書の続編として書かれたとすれば、当然ルカ福音書は使徒言行録より古いはずであり、使徒言行録の成立が63年か64年のこととすれば、ルカ福音書は60年から63年の成立と考えられる。これはパウロが逮捕される前、ルカがパウロに同行してカイサリアに赴いた頃のことと考えられる。もし伝承が伝えるようにルカが獄中のパウロからローマで聞き取って書いたとすれば成立はさらに早まって40年から60年ごろということになる。福音派など保守的なキリスト教派では、このような伝統的な説が支持される。
ルカはこの福音書を「親愛なるテオフィロさま」なる人物に奉げている。ギリシア語では「テオフィロス」というのは「神を愛する人」という意味である。
ルカ福音書でも使徒言行録でも著者がパウロの同伴者ルカであるということはどこにも書かれていない。著者がルカであるということは2世紀末に言い始められたことであり、テキスト自体もこの福音書が一人の人物によって書かれたのではなく、複数の資料からつくられたということを述べている。
[編集] 成立年代の考察
伝承にもとづいた成立年代ではなく、近代以降の批判的研究の結果からわかることは、ルカ福音書がエルサレム神殿の崩壊後に書かれたということである。現代ではルカ福音書と使徒言行録は80年から150年の間に続けて成立したという考え方が主流である。「パルーシア」(キリストの再臨)にあまり触れないことや、福音が世界の人にあてられているということの強調などからも、伝承にもとづいた成立年代にはやや無理があるといえる。
伝統的な成立年代に固執する一部の人々を除けば、聖書学者の間ではルカ福音書が1世紀中に成立したか否かということをめぐっての論争がいまも果てない。2世紀の成立を支持する人々はルカ福音書が二世紀初頭の古代教会内での異端的な動きに対抗して書かれたとみている。1世紀成立を支持する人々は、2世紀の教会で発達していた位階制に一切言及されないことを証左とする。極端な伝統保持者はルカがパウロの同行者であったという伝承だけをもって1世紀中期の成立を主張している。
[編集] 写本
ルカ福音書の最古の写本は3世紀のパピルスである。そのうち「P45」と呼ばれるものは四つの福音をみな含んでおり、他の三つ(「P4」 、「P69」 、「P75」 )は断片である。これら最古の写本の時期において、すでにルカ福音書と使徒言行録は分離している。
ケンブリッジの大学図書館にあるベザ写本は5世紀から6世紀ごろのものとみなされているが、完全なルカ福音書の写本であり、ギリシア語・ラテン語対訳になっている。ギリシア語版は現代のわれわれの知るルカ福音書とは異なる部分が多いため、後世、主流となった版とは別の系統に属するものであると考えられる。べザ写本は現代の読みとあわせるため修正されることが多いが、考えようによっては時期が下っても福音書のさまざまな異読が存在していたことを示しているともいえる。聖書学者たちにとって異同の多いベゼ写本のギリシア語版は厄介な存在であるため、あまり言及されることはない。
22章19節bから20節、および22章43節から44節は初期の版では見られない、
[編集] 他の福音書との関連
現代もっとも支持されている説では、ルカ福音書はマルコ福音書とQ資料をもとに書かれたとみなしている。
ある聖書学者の研究によればルカ福音書の1151節のうち、389節がマタイ・マルコと共通であり、176節はマタイとのみ共通、41節がマルコのみと共通、544節がルカのみにみられるという。これらの三つの福音書が同じ言語で書かれていたであろうことを思わせる多くの証左がある。
ルカ福音書特有のたとえ話は全部で17ある。ルカはマタイ・マルコにない物語を盛り込むことでイエスの「七つの奇跡」を構成している。ルカ、マタイ、マルコは共観福音書と呼ばれるように、似通った部分が多い。たとえばマルコは7%がオリジナルであるが、93%は他の二つのいずれかと共通である。同じように見ていくとマタイは42%のオリジナルと58%の共通部分からなり、ルカは59%のオリジナル部分と41%の共通部分からなる。いいかえればマルコ福音書の14分の13、マルコ福音書の七分の四、ルカ福音書の五分の二が同じ言語で同じ出来事について語っているのである。
ルカ福音書は文体においてもマルコやマタイよりも洗練されており、ヘブライ語に由来する表現などがほとんど含まれていない。ラテン語はわずかに含まれているが、シリア語は含まれない。ヘブライ語は「シケラ」という言葉のみ用いられる。シケラというのは酒の名前であるが、おそらく椰子の実からつくられたものであると考えられる。旧約聖書からの引用は28箇所である。
さらに以下のようにパウロの書簡と共通する句がみられることも特徴である。
- ルカ4:22とコロサイの信徒への手紙4:6
- ルカ4:32とコリントの信徒への手紙一2:4
- ルカ6:36とコリントの信徒への手紙二1:3
- ルカ6:39とローマの信徒への手紙2:19
- ルカ9:56とコリントの信徒への手紙二10:8
- ルカ10:8とコリントの信徒への手紙二10:27
- ルカ11:31とテトスへの手紙1:15
- ルカ18:1とテサロニケの信徒への手紙二1:11
- ルカ21:36とエフェソの信徒への手紙6:18
- ルカ22:19-20とコリントの信徒への手紙一11:23-29
- ルカ23:34とコリントの信徒への手紙一15:5