ランディ・サベージ
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”マッチョマン”ランディ・サベージ("Macho Man" Randy Savage)のリングネームでの活躍で最も知られるランドル・マリオ・ポッフォ(Randall Mario Poffo、1952年11月15日 - )は、アメリカの男子プロレスラー。
イリノイ州ダウナーズグローブ(フロリダ州サラソタとも)出身のアラブ系アメリカ人。父のアンジェロ・ポッフォ、弟の"ジーニアス"ラニー・ポッフォもプロレスラー。WWFやWCWで活躍した。
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[編集] 経歴
サベージはプロレスラーになる前は野球にあけくれ、セントルイス・カーディナルスのマイナーリーグでキャッチャーとしてプレイしていたが、肩の故障でプロの野球選手になる夢を断念し、父親アンジェロの指導を受けプロレスラーになることを決意する。1973年11月にプロレスデビュー。全米各地を転戦したのち1978年からは父親が設立したテネシー州のインディー団体ICWで弟のラニーと共に活動をしていたが、経営の悪化により1983年にはジェリー・ローラーがプロモーターを務める、同州メンフィスのUSWAに移ることを余儀なくされた。1984年には、後にマネージャーとなり重要な役割を果たすエリザベスと結婚した。
[編集] WWF時代
1985年に、マネージャーで妻であるエリザベスと共にビンス・マクマホン率いるWWF(現WWE)と契約をすると、「Oooh Yeah!!」のキャッチフレーズと共にすぐにトップヒールの地位まで登りつめ、翌年にはティト・サンタナを破りIC王座を奪取した。
1987年にミシガン州で開催されたレッスルマニア3では、リッキー・スティムボートとのIC王座選手権試合にて歴史に残る名勝負を繰り広げた。IC王座から転落するとすぐにベビーフェイスに転向し、エリザベスとの二人三脚で人気をさらに集め、1988年にニュージャージー州アトランティック・シティで開催されたレッスルマニアⅣのWWF世界王者決定トーナメントでは、俳優活動も始めたハルク・ホーガンを押さえてメイン・イベントに抜擢された。ホーガンとエリザベスののサポートもあり、決勝でテッド・デビアスを破りWWF世界王座を獲得し、名実共にWWFのトップスターまで登りつめた。
1988年にハルク・ホーガンとのタッグチーム「メガ・パワーズ(The Mega-Powers)」を結成。サマースラム第一回大会のメインイベントではアンドレ・ザ・ジャイアント&デビアス組と対戦した。このタッグは程なくエリザベスを巡る嫉妬から解散し、抗争に発展していく。
1989年のレッスルマニア5でハルク・ホーガンに破れ、WWE世界王座とエリザベスを失った。エリザベスの代わりとなる新しいマネージャーセンセーショナル・シェリーを従え、リングネームをマッチョマンからマッチョ・キングに変更し再びヒールに戻り、アルティメット・ウォリアーとの抗争に入った。
1991年のレッスルマニアⅦでは、アルティメット・ウォリアーとの敗者引退マッチにて30分以上の死闘を繰り広げるも、敗退し瀕死になっているところをマネージャーのセンセーショナル・シェリーに裏切られ攻撃された。このサベージの姿を見て客席から元恋人(注:ストーリー上ではこの時点ではまだ結婚していない)のエリザベスがリングに助けに駆けつけた。リング上で二人が抱き合いサベージのテーマ曲『威風堂々』が流れると、ロサンゼルスの観客のほとんどが感動し涙を流していた。6年越しのラブストーリーに観客全員が心を打たれた瞬間だった。一夜にして、彼は再びWWFの大ベビーファイスに戻っていた。リングネームをマッチョマンに戻すとその年の夏にマディソン・スクエア・ガーデンでエリザベスと結婚式をあげた。
1992年にインディアナポリスで開催されたレッスルマニアⅧではリック・フレアーを破り再びWWF世界王座を奪取し、約半年間保持した。私生活にてエリザベスと離婚すると、エリザベスはTVから姿を消し、サベージも1993年からはほとんど解説者となり、試合はあまりしなくなった。1994年にホーガンがWCWに移籍するとその10月に後を追うようにWCWに移籍した。
[編集] WCW時代
1994年に契約金600万ドル(約7億5千万円)でWCWに移籍すると、盟友ホーガンと共に活躍し、1995年と1996年にそれぞれリック・フレアーを破り、WCW世界王座を奪取し、フレアーとホーガンに次ぐWWEとWCWの両メジャーにて世界王者になったレスラーの1人となった。
1996年にホーガンがケビン・ナッシュ、スコット・ホールと共にnWoを結成すると、後にサベージもメンバーとなり、nWo内でエリザベスと復縁(注:実生活の復縁ではない)し、ダイヤモンド・ダラス・ページと抗争を繰り広げた。
1998年には当時のWCWのトップスター、スティングからWCW世界王座を奪取するが、翌日にホーガンに破れ1日で王座から転落した。nWoとホーガンに不満を持ったサベージはナッシュと共にnWo Wolfpacを結成し、Wolfpacは人気爆発となるがサベージは怪我のためほとんど試合にでることはなくテレビから姿を消した。
1999年にニュールックで復帰すると、新しいガールフレンドゴージャス・ジョージをマネージャーに迎えると7月にはケビン・ナッシュを破り、4度目のWCW世界王座に就き、8月にはNBAの問題児デニス・ロッドマンとの一騎打ちを制すなど、健在振りをアピールした。2000年に入るとホーガンや他の大御所レスラー達と共にミリオネアーズ・クラブなるチームを結成するも、nWoほどのブレイクにはならずに、契約が切れると共にWCWを離脱した。
[編集] WCW以降
しばらくの間フェードアウトした後の2004年に、急成長を遂げているTNAに登場し、ジェフ・ハーディー、AJスタイルズとタッグを結成し、PPVのターニングポイントで試合をしたのだが、交渉の決裂により、サベージの登場はこの1試合にとどまった。現在でもホーガンとの「最後の決着戦」をWWEのリングで実現させる事を計画していると言われる。
[編集] 日本でのファイト
- WWF時代のライバル、ホーガンやロディ・パイパーと比べ日本への来日は遅い。1990年のWWF・全日本・新日本の3団体合同で開催された東京ドームにおける「日米レスリングサミット」で初来日。サベージは天龍源一郎と対戦。典型的なアメリカンプロレスのショーマンレスラー(と思われていた)のサベージと、無骨なタイプの天龍の試合はミスマッチかと思われたが、互いの持ち味が存分に引き出された好勝負となり、サベージの日本での評価を大きく高めた試合であった。
- 天龍とは、彼がのちに移籍したSWSとWWFが提携していたため、SWSマットでも対戦している。また、同マット上でタッグも結成した。
- WCWに移籍後は、WCWと提携関係にあった新日本の大会に数回、来日している。
[編集] 必殺技
- ダイビング・エルボードロップ : トップロープからのエルボードロップ。今ではショーン・マイケルズなど沢山の使い手がいるが、高さやその綺麗なフォームから、サベージを超える使い手はいないと言われている。金網マッチでは5メートルはある金網の上から敢行する事もある。
- ロープを使ってのクローズライン : 相手の首を掴み、自らは場外へジャンプし、相手の喉をトップロープに押しつけダメージを与える。
[編集] タイトル履歴
- WWF
- WWF世界王座 : 2回
- IC王座
- キング・オブ・ザ・リング優勝 (1987年)
- WCW
- WCW王座:4回
- その他
- 中南部ヘビー級王座 : 2回
- 中南部IC王座 : 1回
- USWAヘビー級王座 : 1回
- WWC北米ヘビー級王座 : 1回
[編集] その他
- ハルク・ホーガンとは私生活においても親友関係であったが、1992年にサベージの妻であったエリザベスと寝たという疑惑から関係は悪化。レッスルマニアⅨでホーガンの目にあった青たんは、そのエリザベスの件で怒ったサベージがホーガンにパンチをしたという噂がある(ホーガンはこの前日交通事故にあった)。その後ホーガンとの関係は修復し、WCWへ行ってからもうまくいっていたが、サベージの彼女であったゴージャス・ジョージとの関係がホーガンのせいで悪化し別離となったとして、今ではホーガンとは犬猿関係である。現に2004年にサベージがTNAと契約したときも、バックステージにホーガンがいたため契約を破棄した。この際、ホーガンは「よく戻ってきたブラザー!俺はずっと待ってたぞ。」と声をかけ、握手を求めたらしいが、サベージはこれを拒否し帰ってしまった。
- エリザベスはサベージと別れた後、レックス・ルーガーと交際していたが、2003年にルーガーの自宅で死んでいるところを発見された。死因は急性ドラッグ中毒。
- ホーガンとは何度となく試合をしてきたが、カウントアウトや反則裁定以外では勝利したことがない。
- 映画スパイダーマンにBone Saw McGrawとして出演し、スパイダーマンことトビー・マグワイアと試合をした。そのスパイダーマンとの試合の前にはシコシスと試合をしダイビング・エルボードロップを放ちオールドファンを喜ばした。ちなみに、サベージはルーキー時代ザ・スパイダーというマスクマンとして闘っていた時期がある。
- 多くのレスラーから尊敬を集めている。特に試合運びとロープワークやカメラワークの巧さはピカイチで、4つのコーナーをうまく使い試合を見せる技術を生み出し、クリス・ジェリコやショーン・マイケルズなど今日の最前線で活躍するレスラーにも多大なる影響を与えている。
- また、プロレスマット界で初めて女性マネージャーを登場させ、女性マネージャーの重要性を示したのもサベージである。これは現在のDiva達に多大なる影響を与えているといえる。
- 最近はプロレスはほぼセミリタイア状態で、ラップミュージシャンとしても活動している。
[編集] 外部リンク
- Machoman.com(オフィシャルサイト-英語)
カテゴリ: アメリカ合衆国のプロレスラー | WWE | 1952年生