メチルフェニデート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
医療情報に関する注意:ご自身の健康問題に関しては、専門の医療機関に相談してください。免責事項もお読みください。 |
メチルフェニデート (Methylphenidate, MPH) は難治性のうつ病やナルコレプシーの患者に対して使われる、アンフェタミンに類似した中枢神経刺激薬である。注意欠陥多動性障害(ADHD)、慢性疲労症候群といった症状に対しても効果があるとされる。日本では、リタリン® (Ritalin®)がメチルフェニデートを含む医薬品に該当する。
目次 |
[編集] 歴史
メチルフェニデートはチバ社(Ciba Pharmaceutical Company, 現ノバルティス社 (Novartis))によって1954年に特許が取得され、当初はアメリカにおいて、うつ病、慢性疲労、ナルコレプシーなどの治療薬として定められていた。1960年代の初頭に、当時、多動症や微細脳機能障害 (minimal brain dysfuncton, MBD) として知られていた ADHD の子供に対して使用され始めた。今日ではメチルフェニデートは世界で最も一般的に認められている ADHD の治療薬である(ただし日本で販売されているリタリンの適応症には ADHD は含まれていない)。概算ではメチルフェニデートの 75% 以上は子供に処方されており、男児は女児の4倍の量である。1990年代には、特にアメリカ合衆国において、メチルフェニデートの生産量・処方量は著しく上昇した。ADHD がより理解され、医療や精神医療の分野でより一般的に受け入れられるようになったためである。
最も有名な商品であるリタリンはアメリカ合衆国で生産されているが、メチルフェニデートはメキシコやアルゼンチンの契約薬品製造メーカーにおいても製造されており、ノバルティスがリタリンの名で販売している。アメリカ合衆国では、メチリンなど様々なメチルフェニデートのジェネリック医薬品がいくつかの製薬会社によって販売されている。リタリンは日本をはじめ、イギリス、ドイツなどヨーロッパ諸国でも販売されているが、8割以上はアメリカで消費されている。
2000年4月にアメリカ合衆国で認可されたコンセルタ® (Concerta®) は1日1回服用型の徐放性のメチルフェニデート製剤である。研究によって、コンセルタのような長期作用型の調合は、速放性の処方と同等かそれ以上の効果があることが示されている[1][2][3][4]。
[編集] 効果
メチルフェニデートは中枢神経刺激薬である。ADHD を持つ子供には鎮静効果があり、衝動的行動や行動化の傾向を軽減し、学校生活や他の作業に集中できるようにする。ADHD をもつ大人の多くは、メチルフェニデートによって仕事に集中したり生活を正す能力が向上することを実感している。
また、ナルコレプシーの睡眠発作に効果があり、日中の異常な眠気を抑え正常な日常生活が送れるようにする。ナルコレプシー患者の多くはメチルフェニデートによって日中の異常な眠気・居眠りが抑えられていることを実感している。
メチルフェニデートはデキストロアンフェタミンに比べ副作用が少ないことが知られている[5]。
メチルフェニデートによる ADHD の症状改善の作用機序は詳しくは知られていない。ADHD は脳内のドパミンの不均衡によって起こると考えられている。メチルフェニデートはドパミンの再吸収阻害剤として働くとされる。すなわち、シナプス間隙からドパミンを神経細胞内に再取り込みするトランスポーターをブロックすることにより、シナプス間隙のドパミンの量を増加させる[6]。
日本ではメチルフェニデートは第1種向精神薬に指定されている。アメリカ合衆国では、医療用途は認められるが、濫用の可能性の高い薬物を示すスケジュール II の規制物質に分類されている。国際的には向精神薬条約 (Convention on Psychotropic Substances) でスケジュール II の薬剤である[7]。濫用目的では次のように使われる。メチルフェニデートの錠剤を砕いて鼻から吸引することにより血液中に急速に吸収され、ドーパミントランスポーターの阻害を促進し、結果として「ハイ」な気分になる。このようにして使用する場合、リタリンの効果はコカインやアンフェタミンなどに近く、薬物依存症を誘発しやすい。処方された量を経口で服用する場合は濫用的摂取に比べると依存のリスクは低く、「ハイ」な状態になることもまれである(ただし副作用として、頻度不明の興奮が報告されている)。
アメリカ合衆国においては血液中への薬剤の放出が穏やかな徐放型(SR 型)の製剤がよく用いられているが、こちらは濫用性が一般的な錠剤(IR 型)より低いと言われており、覚せい剤などの麻薬類と同様、血中濃度の急激な上昇と濫用の関連が考えられる。日本では現在 SR 型のメチルフェニデート製剤は流通していない。
[編集] 異性体
リタリンを含む大部分の製品はデキストロメチルフェニデートとレボメチルフェニデートの 50:50 のラセミ体を含むが、メチルフェニデートはデキストロ体のみが薬理活性を持つエナンチオマーである。一部の国ではフォカリン® (Focalin®) など、純粋なデキストロメチルフェニデートを含む製品も流通している。これは即効性を持ち、異性体の混合物よりもより速く身体に吸収され、ピーク濃度に達する時間や排出時間もより短いと評されている。
薬学的性質や有効性におけるメチルフェニデートのデキストロおよびレボ異性体の関係はアンフェタミンに類似しており、レボアンフェタミンの方がより効果が高いと考えられている。
[編集] 批判
[編集] 過剰な処方
使用者が年々激増しているため、子供に対して中枢神経刺激薬を使って治療することには異論がある。メチルフェニデート投与に批判的な人は、アメリカにおいて特に子供に対して過剰に処方されており、健康な子供の創造性や知性を奪って「ゾンビ」に変えていると主張している。
しかしながら、メチルフェニデートが過剰処方されているという批判には根拠がない可能性がある。ADHD の発生率は人口の 3-5% 程度であり、アメリカでリタリンを服用している子供の数は 1-2% と見積もられる[8]。また、別の意見として、処方量は過剰にも不足にもなりえる、というものがある。すなわち、メチルフェニデートを服用している子供のうちいくらかは十分な効果が得られないが、より多数の子供は服用しなくとも症状が改善されるかもしれない、ということである。
[編集] 常用と「ゾンビ化」
最近の研究では、メチルフェニデートなどの中枢神経刺激薬で治療を受けた少年は、のちの人生においてアルコールを含む薬物を濫用する割合が低いことが示唆されている[9]。また、この薬の使用でゾンビ効果(親や薬に詳しい人々に「ゾンビ症候群」あるいは「ゾンビ化」として知られる)を引き起こすのは過剰に服用した場合のみである。適正な使用量を守れば、メチルフェニデートは患者に対して無害である[1]。
[編集] 長期間の使用による効果
1990年代以前には長期間にわたるメチルフェニデートの使用は一般的ではなく、神経学的な効果は詳しく検討されていなかった。理論的には、アンフェタミンの場合で示されているように、長年にわたる使用によってドーパミン神経系が恒久的な損傷を受ける可能性がある。例えばアドリアーニ (Adriani) らは、ラットの報酬に関連した行動において、無薬剤状態に置かれたあとは柔軟性に変化があることを発見している[10]。人間の認知力に影響があるかどうかは知られていない。
2005年の研究では2年間の服用後に、生長、バイタルサイン、健康診断(尿検査、血液検査、電解質分析、肝機能検査を含む)において臨床での大きな影響は観察されなかった[11]。
[編集] 成長に対する影響
成長に対する影響に関する調査も行われており、身長の増加率をわずかに減少させることが見出されている[12]。思春期から青年期には平均に戻るという研究結果もある[13][14]。
[編集] 死亡の危険
非常にまれであるが、リタリンが子供の死因となっていることが検死官により報告されている。
[編集] 発がん性
2005年2月、テキサス大学 M. D. アンダーソンがんセンターのエルゼイン (El-Zein) は12人の子供による小規模な研究を行い、メチルフェニデートは発がん性を持つ可能性がある、と報告した。この研究では、12人の子供は標準的な治療に用いられる量のメチルフェニデートを与えられ、3か月後には12人全てに染色体の大きな異常化が引き起こされていた。この研究者らは、有意な結論を導くには規模が小さすぎるが、染色体異常はがんと関連することが証明されていることから、この件に関してより深く検討する必要があることを示している[15]。
しかし、メチルフェニデートの変異原性については逆の研究結果もあり、上記の結果には議論の余地がある。
2003年の研究では、D-メチルフェニデート(フォカリン)、L-メチルフェニデート、DL-メチルフェニデート(リタリン)のマウスに対する発がん性の有無が検討され、これらの化合物はいずれも遺伝毒性および染色体異常誘発性を持たず、人間に対して発がんの危険はないと結論付けられている[16]。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- ↑ 1.0 1.1 Steele, M., et al. (2006). "A randomized, controlled effectiveness trail of OROS-methylphenidate compared to usual care with immediate-release methylphenidate in Attention Deficit-Hyperactivity Disorder". Can J Clin Pharmacol. 2006 Winter;13(1):e50-62. Full Text (PDF)
- ↑ Pelham, W.E., et al. (2001). "Once-a-day Concerta methylphenidate versus three-times-daily methylphenidate in laboratory and natural settings". Pediatrics. 2001 Jun;107(6):E105. DOI: 10.1542/peds.107.6.e105
- ↑ Keating, G.M., McClellan, K., Jarvis, B. (2001). "Methylphenidate (OROS formulation)". CNS Drugs. 2001;15(6):495-500; discussion 501-3. PubMed
- ↑ Hoare, P., et al. (2005). "12-month efficacy and safety of OROS® MPH in children and adolescents with attention-deficit/hyperactivity disorder switched from MPH". Eur Child Adolesc Psychiatry. 2005 Sep;14(6):305-9. DOI: 10.1007/s00787-005-0486-3
- ↑ Barbaresi, W.J., et al. (2006). "Long-Term Stimulant Medication Treatment of Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder: Results from a Population-Based Study". J Dev Behav Pediatr. 2006 Feb;27(1):1-10. PubMed
- ↑ Volkow N., et al. (1998). "Dopamine Transporter Occupancies in the Human Brain Induced by Therapeutic Doses of Oral Methylphenidate". Am J Psychiatry 155:1325-1331, October 1998. Full Text
- ↑ Green List: Annex to the annual statistical report on psychotropic substances (form P) 23rd edition. August 2003. International Narcotics Board, Vienna International Centre. Accessed 02 March 2006. PDF
- ↑ The New Yorker. 2 February 1999. "Running from Ritalin". PDF
- ↑ Mannuzza, S., Klein, R.G., Moulton, J.L. (2003). "Does Stimulant Treatment Place Children at Risk for Adult Substance Abuse? A Controlled, Prospective Follow-up Study". Journal of Child and Adolescent Psychopharmacology, Sep 2003, Vol. 13, No. 3: 273-282. DOI: 10.1089/104454603322572606
- ↑ Adriani, W. et al. (2005). "Methylphenidate Administration to Adolescent Rats Determines Plastic Changes on Reward-Related Behavior and Striatal Gene Expression". Neuropsychopharmacology advance online publication 23 November 2005. DOI: 10.1038/sj.npp.1300962 PubMed
- ↑ Wilens, T., et al. (2005). "ADHD treatment with once-daily OROS methylphenidate: final results from a long-term open-label study". J Am Acad Child Adolesc Psychiatry. 2005 Oct;44(10):1015-23. PubMed
- ↑ Rao, J.K., Julius, J.R., Breen, T.J., Blethen, S.L. (1996). "Response to growth hormone in attention deficit hyperactivity disorder: effects of methylphenidate and pemoline therapy". Pediatrics. 1998 Aug;102(2 Pt 3):497-500. PubMed
- ↑ Spencer, T.J., et al. (1996). "Growth deficits in ADHD children revisited: evidence for disorder-associated growth delays?". J Am Acad Child Adolesc Psychiatry. 1996 Nov;35(11):1460-9. PubMed
- ↑ Klein, R.G. & Mannuzza, S. (1988). "Hyperactive boys almost grown up. III. Methylphenidate effects on ultimate height". Arch Gen Psychiatry. 1988 Dec;45(12):1131-4. PubMed
- ↑ El-Zein, R.A., et al. (2005). "Cytogenetic effects in children treated with methylphenidate". Cancer Lett. 2005 Dec 18;230(2):284-91. PubMed
- ↑ Teo, S.K., et al. (2003). "D-Methylphenidate is non-genotoxic in in vitro and in vivo assays". Mutat Res. 2003 May 9;537(1):67-79. PubMed