ミリオンダラー・ベイビー
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ミリオンダラー・ベイビー Million Dollar Baby |
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監督 | クリント・イーストウッド |
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製作総指揮 | ロバート・ロレンツ ゲイリー・ルチェッシ |
製作 | ポール・ハギス トム・ローゼンバーグ アルバート・S・ルディ |
脚本 | ポール・ハギス |
出演者 | クリント・イーストウッド ヒラリー・スワンク モーガン・フリーマン |
音楽 | クリント・イーストウッド |
撮影 | トム・シュテルン |
編集 | ジョエル・コックス |
配給 | ワーナー・ブラザーズ 松竹 |
公開 | 2004年12月15日 2005年5月28日 |
上映時間 | 132分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 アイルランド語 |
制作費 | 3000万$ |
興行収入 | 1億$ 1億1千万$(米国外) 2億1千6百万$(総計) |
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『ミリオンダラー・ベイビー』(Million Dollar Baby)は、2004年のアメリカ映画。製作会社はワーナー・ブラザーズで、監督・製作・主演はクリント・イーストウッド。2000年に発表されたF・X・トゥール(本名:ジェリー・ボイド)の短編集『Rope Burns:Stories From the Corner』を元にポール・ハギスが脚本を担当。第77回アカデミー賞 作品賞受賞作品。PG-12指定作品。
実の娘に絶縁され、罪悪感と共に生きる初老のトレーナーが、貧しい生活から抜け出そうとするボクサー志望の女性と出会い、女子プロボクシングの世界でチャンピオンになるという夢を共に目指す模様を描くボクシングドラマ映画。
公開当時75歳であったイーストウッドによる25番目の監督作品である本作品は、3000万ドルの低予算と37日という短い撮影期間で製作されながら、2003年公開の『ミスティック・リバー』に続き作品の完成度の高さと従来のハリウッド映画との異質性を高く評価され全米だけでも1億ドルの興行収入を記録した。さらに、第77回アカデミー賞において、マーティン・スコセッシ監督の『アビエイター』との「巨匠対決」を制し作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞の主要4部門を独占したのを始め、多数の映画賞を受賞した。
しかし、これほどの成功を収めた作品でありながら、尊厳死という、極めて慎重に議論が重ねられている題材を映画の結末部分に用い、加えて前半部分が、『ロッキー』を連想させるサクセスストーリーであったため、必ずしも万人が賞賛を送ったわけではなく、宗教や政治思想によっては強い反発を招き、各方面で抗議行動や論争が起こったという点でも大きな話題を提供した。
目次 |
[編集] キャスト
- フランキー・ダン(Frankie Dunn)・・・クリント・イーストウッド
- マギー・フィッツジェラルド(Maggie Fitzgerald)・・・ヒラリー・スワンク
- エディ・『スクラップ・アイアン』・デュプリス(Eddie Scrap-Iron Dupris)・・・モーガン・フリーマン
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
[編集] ストーリー
アマチュア女性ボクサーのマギー・フィッツジェラルドは、プロボクサーとして成功して自分の価値を証明したいと願い、ロサンゼルスの下町にあるフランキー・ダンのうらぶれたボクシング・ジムに来る。
フランキーはかつてリングサイドの止血係(カットマン)として活躍し、その後はトレーナーとなりジムを経営し多くの優秀なボクサーを育ててきたが、彼らの身の安全のためにいきなりビッグ・マッチを組まずに慎重な試合しか組ませないため、大きな機会を逃したくないボクサーたちに逃げられ続けてきた。社会から疎外されてきた彼は実の娘ケイティにも逃げられ、手紙を書いても全て返ってきてしまう。
フランキーが最近まで育ててきたビッグ・ウィリーも大きな試合に出たいと別のマネージャーのもとへ逃げたばかりだったが、マギーがジムに入門したのはそんな時だった。最初、フランキーはトレーナーになることを断り、31歳でウェイトレス兼業のマギーが今更プロを目指すなど無理だと断言したが、マギーは毎日ジムに通い続ける。練習を続けて何とかフランキーの気を引こうとする彼女に、フランキーの旧友でジムの雑用係、元ボクサーのエディ・『スクラップ・アイアン』・デュプリスが素質を見抜いて同情し、少しの間だけでもコーチをしてやれとフランキーの説得にかかる。やがてフランキーは、夜に練習を続ける彼女にスピードバッグの正しい使い方を教えることからコーチングをはじめてゆく。
実の娘とも親しい関係を築いたことのないフランキーと、中西部のトレイラー・ハウスに住む家族が崩壊状態にあり死んだ父親以外から優しい扱いを受けてこなかったマギーは、練習を通じて実の親子より強い絆を結んでゆく。フランキーはマギーのプロ選手としてのトレーニングとマネージメントに集中し、マギーはフランキーの指導を受けて試合を勝ち進み、評判となりはじめる。あまりの強さに彼女はウェルター級へ階級を上げ、そこでも連勝を続けた。大きな試合のオファーが殺到する中、フランキーはあくまで慎重に試合を選ぼうとするが、ついにイギリス・チャンピオンとのタイトルマッチを受けることとなった。アイルランド系カトリック教徒のフランキーは、試合前に同じくアイリッシュであるマギーのために、背中にゲール語で「モ・クシュラ」と書かれた緑色のガウンを贈る。試合当日、リングに立つマギーに、アイリッシュの観客たちは「モ・クシュラ!」を連呼し熱狂し、マギーは英国チャンピオンを倒した。ヨーロッパを転戦するマギーとフランキーに「モ・クシュラ!」の声援が飛び、マギーはその意味を問うがフランキーは答えない。収入が入り田舎の家族に家を買ったマギーだったが、家族はトレイラーハウスから出たことにさして喜ばず金銭だけに執着し、マギーがボクサーを続けることに対し冷ややかだった。
フランキーは、反則を使う危険な相手だとして避けてきたWBA女子ウェルター級チャンピオン、『青い熊』ビリーとの試合をついに受ける。ラスベガスで100万ドルのファイト・マネーを賭けて行われるかつてないビッグ・マッチにおいて、マギーは優位に試合を運んだが、ラウンド終了のゴングが鳴った直後、ビリーが後ろから放った反則パンチを浴びてマギーはマットに倒れ、コーナーに置かれた椅子に首を打ちつけた。フランキーはとっさに椅子を払いのけようとしたが全ては一瞬のことだった。
マギーは首の骨を折り全身不随の重傷を負った。フランキーはこの運命に怒り、マギーをジムに置くよう説得したエディに怒りの矛先を向けたが、最後にはプロボクサーとしての可能性や危険な試合相手という判断に逆らってマギーをトレーニングしマネジメントした自分自身に怒りを向けるようになった。リハビリ施設に入れられたマギーはフランキーに「わたしの見たかったものは見た」と言い、苦しみをやわらげてくれるよう頼む。彼女は舌を噛み切って死のうと何度も自殺を試みたがスタッフたちに押さえ込まれ、薬を飲まされた。見舞いに来たマギーの家族も相変わらず冷淡だった。フランキーは宗教的なタブーとのはざまで苦悩したが、薬で意識を朦朧とさせられたマギーにアドレナリンを過剰投与する注射をして尊厳死させる決意をする。フランキーは最後に、「モ・クシュラ」の言葉に込めた意味を実の娘以上となったマギーに教え、病棟を後にした。
ナレーターであるエディは、この後フランキーが消息を絶ったと述べる。エディのナレーションは、父フランキーを見捨てた娘に宛てて、彼女の父親の性格や生き方を伝えようとして書いた手紙の内容であった。
[編集] 論争
本作品の主テーマが尊厳死や安楽死にあるわけではないが、この問題はキリスト教右派が国民の半数を占めるアメリカでは極めてデリケートな問題であり、保守派コメンテーター、障害者団体、キリスト教団体によるこの映画のボイコット運動などが起こり話題になった。
イーストウッドはこの件に関して、映画の中におけるフィクションの登場人物による行動と、イーストウッド自身の思想や言動は全く無関係であり、この作品はあくまで彼のアメリカン・ドリーム観を表現したものであると述べている。
その他、この映画に関しては様々な反応があった。
[編集] 障害者団体
2005年初頭、幾人かの障害者権利活動家が映画後半の、マギーが四肢麻痺患者となったあとで死にたいと漏らしフランキーがその願いを実現させた部分に対して論争を起こした。[1][2][3]
またウィークリー・スタンダードもこの映画の結末に対し、生きる機会を軽視したと批判している。[4]
[編集] 生命維持装置を外すことの神話
この映画の結末は、「意識がはっきりしている患者は延命措置を終わらせてもらえない」という事実誤認に基づいている。現実のアメリカでは、患者が別の者に「治療を打ち切ってほしい」と指示できるほど意識がはっきりしている場合、患者は病院に対し治療の停止を指示することができ、病院は必要な法的形式が保証されていることが確認できればその指示に従わなければならない。意識のはっきりした患者に対し、意思に反して治療を強行した場合は暴行ともみなされる。患者はあらかじめリビング・ウィル(生前意思)という形で治療に関する意思をはっきりさせておくこともできるが、もし患者が負傷後にも意思疎通ができ意識が明確な場合、病院に治療停止を指示することは単純なことにすぎない。
患者が負傷後、「蘇生不要(Do not resuscitate、DNR)」の指示を行使することを禁じる規則はアメリカには一切存在しないが、一般的に正しく認識されていないのが現状である。また、身体が麻痺している患者を「意思能力がない」と推定することもない。脊髄損傷の患者の多くは法的権利を引き続き行使しており、もし意識不明になった場合のために第三者に代理権を与えるよう手配することもできる。また、鎮痛剤を打たれている状態や抑鬱状態にある場合でも患者から法的意思を表す能力が失われたとはみなされない。
アメリカにおいて、治療拒否は司法制度において自殺とみなされたことはなく、蘇生不要(DNR)指示に基づいて担当医が治療を中止することは自殺幇助とみなされたことはない。法的に有効な蘇生不要(DNR)指示を医師などが拒否することは違法であり民法や刑法の処罰の対象となりうる。
ハリウッドなどでは同様の『生命維持装置をは外すか否か』という筋書きを何十年も使ってきた。この筋書きは、個人的な忠義、法律の遵守、宗教的判断の衝突というドラマチックな状態をつくるので多用されている。重態患者に対し、治療を受けいれる義務を負わせるような法律はアメリカには全くなかったにもかかわらず、このモチーフは不滅である。
[編集] アイルランド語の話者
アイルランド語の使用者の中には、マギーのガウンの背中に刺繍された言葉である「モ・クシュラ」(Mo Chúisle)が、映画の中では Mo Cuishle とスペルを間違われているという指摘がある。さらに映画の中では「モ・クシュラ」を「おまえは私の親愛なる者、おまえは私の血(My darling, my blood)」と訳している。(「モ・クシュラ」は「おまえは私の鼓動だ(My pulse)」[5]を意味するゲール語の親愛表現であり、『A chúisle mo chroí』(ああ、私の心臓の鼓動よ)の短縮形である。) ともあれ、「モ・クシュラ」はこの年のハリウッド映画の中でももっとも影響力のあったフレーズであったとも言われており、この映画はアメリカにおけるアイルランド語への関心を高めたとして賞賛する声もある。(Wes Davis "Fighting Words". New York Times. February 26, 2005)
[編集] スポーツライター
スポーツライターの中には、この映画はボクシング関係者から見れば非常に不正確で混乱させられるものだという批評もある。ボクシング・シーンは非現実的で、マギーを後ろから殴ったボクサーは本来ならプロの権利を剥奪され法廷送りになるのは明白だ、というものである。原作では試合中に起きた事故という設定になっている。しかし、医療機器の描き方が的確でないことを考慮すれば、こうした脚色はイーストウッドの「映画的演出」の一環である、との捉え方もある。[6]
[編集] ボクシング・シーン
ヒラリー・スワンクは元来運動神経に秀でており、水泳でジュニア・オリンピックの選考会に参加するほどであったが、撮影に際し3ヶ月間数多くの世界チャンピオンを輩出したヘクター・ロカの元でトレーニングを重ねた。また、重量挙げの選手であるグラント・ロバーツと共に筋力トレーニングに励み、『青い熊』で出演も果たしたオランダ出身の女子ボクサー、ルシア・ライカらと実践さながらのスパーリングを重ねた。
[編集] 受賞/ノミネート
[編集] 第77回アカデミー賞
- 受賞・・・作品賞/監督賞/主演女優賞/助演男優賞
- ノミネート・・・主演男優賞/脚色賞/編集賞
[編集] 第62回ゴールデン・グローブ賞
- 受賞・・・監督賞/女優賞(ドラマ部門)
- ノミネート・・・作品賞(ドラマ部門)/助演男優賞/音楽賞
[編集] 第10回放送批評家協会賞
- 受賞・・・主演女優賞
- ノミネート・・・監督賞/助演男優賞
[編集] 外部リンク
2001: ビューティフル・マインド | 2002: シカゴ | 2003: ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 | 2004: ミリオンダラー・ベイビー | 2005: クラッシュ |
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