ミック・フォーリー
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ミック・フォーリー(Mick Foley、1965年6月7日 - )は、アメリカのプロレスラー、作家である。
本名:マイケル・フランシス・フォーリー(Michael Francis Foley)。
身長188cm、体重130kg。ニューヨーク州出身。ハードコア・レジェンドとして知られ、ハードコアマッチを得意とする。
複数のリングネームを使い分け、多重人格というギミックのもとミック・フォーリー以外にもカクタス・ジャック(Cactus Jack)、マンカインド(Mankind)、デュード・ラブ(Dude Love)としても活躍する。両手でピストルの形を作って「バンバン!」と叫ぶのが定番アピール。
現在は作家としての顔も持ち、自伝である「HAVE A NICE DAY!」(1998)は全米でベストセラーになった。その他小説、絵本など精力的に執筆活動を続けている。「HAVE A NICE DAY!」とは自身の決め台詞でもある。
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[編集] 経歴
少年時代からプロレスに熱狂し、大学生の時にマディソン・スクエア・ガーデンでジミー・スヌーカが見せた伝説の「スーパー・フライ」を客席で前列3列目で目撃している(余談だがこの時のチケットはダフ屋から購入した)。この時の光景に衝撃を受けたことが後の彼の試合スタイルに大きな影響を与えている。学生時代の自主製作映画では、自ら演じるフラれた男が二階の屋根から下に敷いたマットに向かってスーパーフライを慣行するシーンを撮影している。
師匠ドミニク・デヌーチに徹底的にバンプ(受身)を叩き込まれ、1985年6月24日プロレスデビュー。カクタス・ジャックのリングネームでインディ団体で活動していた。9月13日、ジャック・フォーリーの名でWWF(現WWE)に出場しブリティッシュ・ブルドッグスと対戦。ダイナマイト・キッドを怒らせたために危険なスープレックスを掛けられ、顎を負傷。後日この怪我によって受身の際に歯を食いしばれず、前歯を失った。
1989年にWCWと契約するも、引き続きインディ団体に出場。正式に参戦したのは1991年から。主に前座戦線で活躍したが、スティング、ベイダーなどWCW王者との抗争も組まれた。1994年3月16日、ドイツで行われたベイダー戦でロープが頭に絡まり、無理に抜け出そうとして右耳がちぎれてしまうアクシデントに襲われている。バンプが得意だったことから場外への自爆など過激な試合展開を好み、ハードコア路線を自身のプロレススタイルとするようになる
1994年、WCWとECWの提携路線からECWに参戦するようになり、同年のWCW退団後は引き続きECW、SMWなどのインディー団体に参戦するようになる。1995年にはIWAジャパンに登場。日本でもハードコアマッチをこなし、IWAジャパン開催のキング・オブ・ザ・デスマッチトーナメントでテリー・ファンクを破り優勝している。
1996年にWWF(現WWE)と契約し、マンカインドに変身。もっとも正体がフォーリーであることは多くのファンの知るところであったため、後にギミック上多重人格という設定がされ、その人格のバリエーションとしてカクタス・ジャックやデュード・ラブとしても活動する。WWFではこの3つのリングネームを基本として活動していた。本名のミック・フォーリーでの試合は2006年現在で通算7回しか行っていない。ECWやIWAジャパンで見せたようなハードコアスタイルはWWFでも変わらなかった。特に有名なのが1998年のPPVキング・オブ・ザ・リングで行われたジ・アンダーテイカーとのヘル・イン・ア・セル戦で約6mの高さの金網からテーブルに向かって落下したハードバンプである。躊躇するジ・アンダーテイカーを説き伏せて敢行したバンプは思い出の「スーパー・フライ」へのオマージュだったのかもしれない。カルト的な人気を獲得し、同年12月29日からWWE王座を通算3回獲得。ザ・ロックやトリプルHが時代を代表するスターに成長したのはフォーリーとの抗争があってこそといっても過言ではない。ロックとは異色のタッグチーム「ロックン・ソック・コネクション」(The Rock & Sock Connection)でも活躍した。
長年のハードバンプにより身体が限界に達していたため引退を決意、1999年冬頃から試合数を減らし、2000年WrestleMania 2000のメインイベントをもって現役を引退。2001年にWWFコミッショナーに就任し現場に復帰。同年にWWFコミッショナーを退いた後はプロレス界から離れ、作家活動に勢力を注いだ。
2003年6月、トリプルHとケビン・ナッシュの抗争の中で行われたヘル・イン・ア・セル戦のレフェリーとして久々にWWEに登場、エヴォリューションとの抗争の火種を作る。またビンス・マクマホンからハードコア王座ベルトを贈呈された。同年末にRawのGMとして復帰するも、翌週にはエヴォリューションのメンバーでもあるランディ・オートンによってGM退任に追い込まれる。2004年に入り本格的に抗争を開始、WrestleMania XXにてザ・ロックとのコンビを復活させ現役復帰。Backlash 2004ではオートンと壮絶なハードコアマッチを行った。翌月にはハッスルへ出場し三冠ヘビー級王座に挑戦した。その後も精力的にROHなど各地のインディー団体に登場してサイン会の開催や特別レフェリーを務めている。
2005年も前年同様試合はたまにしかしないがPPVや他団体への出演を行っている。6月のハードコア・ホームカミングではメインイベントのサプライズ・ゲストレフェリーを務め、2日後のECW ワン・ナイト・スタンドではジョーイ・スタイルズと共に解説を務めた。11月のタブー・チューズデイではファンのインターネット投票でギミックを決める試合を行い、マンカインドとしてカリートと試合を行った。12月のエリック・ビショフ解任ストーリーでもRawに登場している。2006年に入り、ロイヤルランブルにて王座をジョン・シーナに奪われたエッジの王座戦再戦の際にレフェリーとして登場。この時のレフェリングをきっかけにエッジと抗争を開始し、WrestleMania 22にてエッジとハードコアマッチを行った。5月、エッジと結託してヒール転向しECW One Night Stand 2006では数年ぶりに師匠とも呼べるテリー・ファンクと対戦。またSummerSlamでは不仲で有名だったリック・フレアーとのアイ・クイット・マッチも実現させた。現在は再び創作活動に入っている。
このようにパートタイムではありながら、現在でもたびたびWWEのストーリーラインに絡んでいる。なお2005年にはTNAへの移籍が噂され、実際に本人もWWEのライバルを作るために移籍するつもりであったというが結局はビンス・マクマホンの説得により残留している。
[編集] ギミック
- カクタス・ジャック
- WWF入団以前から名乗っていたリングネーム。サディストでバービーと名付けられた有刺鉄線が巻かれたバットを携えている。WWEでは彼の人格の中で最も残虐とされる。全日本プロレスやIWAジャパンに来日した時はこのギミックだった。カクタス・ジャックとはもともと父親のあだ名だった。
- マンカインド
- 怪奇派ギミックで子供のときに醜さからマスクをかぶせられボイラー室に閉じ込められて育った自閉症の男という設定。顔が描かれた靴下のソッコという友人がいる。当初は狂人キャラだったが、徐々に純真でコミカルなキャラクターに変わっていった。このギミックのままテレビCM(ラビオリの缶詰)にも起用されている。
- デュード・ラヴ
- ヒッピー風の衣装に身を包み、常にハイテンションで踊る男。マンカインドがストーン・コールド・スティーブ・オースティンにタッグの結成を持ちかけるも「暗い男は断る」と言われたことから変身したキャラクター。名前の元ネタは前述の自主制作映画の主人公。
[編集] 得意技
- マンディブル・クロー
レスリングタイツの中等から取り出した顔が描かれた不潔なソックス(Mr.ソッコ)を手に装着し相手の口の中に突っ込み、臭いで相手をKOする。ソッコ無しの場合は指で喉を塞ぐ技になる。
- ダブルアームDDT(カクタス・ジャックの時はカクタスジャックナイフという名前になる。)
- 場外への自爆ダイビング・エルボードロップ
[編集] タイトル履歴
- ECW
- ECW世界タッグ王座 : 2回(&Mikey Whipwreck)
- WCW
- WCW世界タッグ王座 : 1回(&ケビン・サリバン)
- WCWA
- WCWAタッグ王座 : 2回(&Scott Braddock、Gary Young)
- WCWAライトヘビー級王座 : 1回
- WWE
- WWF世界ヘビー級王座 : 3回
- WWFハードコア王座(初代王座)
- WWF世界タッグチーム王座 : 8回(&ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、チェーンソー・チャーリー、ケイン x2、アル・スノー、ザ・ロック x3)
- IWAジャパン
- IWAタッグ王座 : 1回(&トレイシー・スマサーズ)
- その他
- ACWユニバーサルTV王座 : 1回
- CWAタッグ王座 : 1回(&Gary Young)
- GLCWヘビー級王座 : 1回
- MCW北米ヘビー級王座 : 1回
- 中南部ヘビー級王座 : 1回
- NAWヘビー級王座 : 1回
- NWLヘビー級王座 : 1回
- OMW北米ヘビー級王座 : 1回
- SCWタッグ王座 : 1回(&ブルー・ミーニー)
[編集] その他
TIMEが選出するパーソン・オブ・ザ・イヤーのインターネット投票において、1998年に組織票により一位になったことがある(その後投票結果は無効になっている)。前述の、1998年PPV、キング・オブ・ザ・リングでのハードバンプに感銘を受けた一部ファンが、ネット投票を行ったと言われている。
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