ホルガー・オジェック
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ホルガー・オジェック(Holger Osieck、1948年8月31日)は、ドイツ・ホンベルク出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。現在は、FIFA(国際サッカー連盟)の技術委員をしている。
[編集] 略歴
現役時代はブンデスリーガの出場経験はなく、北米リーグで21試合2得点を記録したのみだった。
現役引退後は1987年から西ドイツ代表のアシスタントコーチを務め、1990年のイタリアW杯制覇に貢献した。
その後、ドイツのVfLボーフム、トルコのフェネルバフチェの監督を経て、1995年から浦和レッドダイヤモンズの監督に就任。それまで2年連続最下位だったチームをギド・ブッフバルトを中心にした守備陣とウーベ・バイン、福田正博を中心とした速攻で建て直し、一躍優勝争いに加わらせた。なお、2003年に行われた福田正博の引退試合では、レッズ歴代選抜チームの指揮を執っている。
1996年限りでレッズの監督を退任すると、その後はトルコのコジャエリスポルの監督に就任し、トルコカップ優勝。翌年、カナダ代表監督を務め2000 CONCACAFゴールドカップで優勝し翌年のFIFAコンフェデレーションズカップ2001で日本への凱旋を果たした。現在は国際サッカー連盟(FIFA)の技術スタッフの責任者を務めている。
ドイツの指導者ライセンス試験で歴代でもトップクラスの得点で合格したという噂もある。また、浦和レッズからもブッフバルト監督就任時に於ける3人の候補の一人であったことを後に犬飼代表が話している。
2007年から再び浦和レッズの監督に就任する予定である。
[編集] 監督成績
年度 | 所属リーグ | 試合数 | 勝点 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 順位 | チーム |
1995年 | J・サントリー | 26 | 48 | 15 | 11 | - | 3位 | 浦和レッドダイヤモンズ |
J・ニコス | 26 | 42 | 14 | 12 | - | 8位 | ||
1996年 | J | 30 | 59 | 19 | 11 | - | 6位 |
- 浦和レッドダイヤモンズ監督
- 1995-1996
-
- 先代:
- 横山謙三
- 次代:
- ホルスト・ケッペル
- 浦和レッドダイヤモンズ監督
- 2007-
-
- 先代:
- ギド・ブッフバルト
- 次代:
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