サッカードイツ代表
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国または地域 | ドイツ |
協会 | ドイツサッカー協会 |
愛称 | Die Nationalelf,Die Mannschaft |
監督 | ヨアヒム・レーヴ |
最多出場選手 | ローター・マテウス(150試合) |
最多得点選手 | ゲルト・ミュラー(68得点) |
初の国際試合 | 1908年4月5日対スイス 3-5 |
最大差勝利試合 | 1912年7月1日対ロシア 16-0 |
最大差敗戦試合 | 1909年3月16日対イングランド 0-9 |
W杯出場回数 | 16回 |
W杯初出場 | 1934 FIFAワールドカップ |
W杯最高成績 | 優勝(1954、1974、1990) |
サッカー欧州選手権出場数 | 9回 |
サッカードイツ代表(Deutsche Fußballnationalmannschaft ドイチェ・フースバルナツィオナルマンシャフト)はドイツサッカー協会により編成されるサッカーのナショナルチームである。
1990年のドイツ再統一に際して、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)がドイツ民主共和国(東ドイツ)を編入した経緯があるため、慣例的に西ドイツ代表の歴史、記録はドイツ代表のものに含まれる。逆に東ドイツの歴史、経歴は現在のドイツ代表とは別個に扱われる。東ドイツ代表に関してはサッカー東ドイツ代表を参照のこと。
又、本項目に於いて東西別に代表が編成される1952年から東西ドイツが再統一される1990年までの事項に関しては「西ドイツ代表」と呼称されていたものに相当する。
FIFAワールドカップでの優勝回数は3回、準優勝4回、サッカー欧州選手権での優勝回数は3回、準優勝2回でヨーロッパ最多を誇る。この数字が示すとおりドイツはヨーロッパ最強のナショナルチームの一つである。
目次 |
[編集] 歴史
ワールドカップでの成績は優勝3回、準優勝4回で、都合決勝戦には7回進出している事になる。さらに、コンスタントにベスト8以上に進出し続けている。地元開催の2006年大会で3位になったことにより、14大会連続ベスト8とその記録は伸びた。
このうち優勝した1954年大会は当時、マジック・マジャールと呼ばれ世界最強の名前を欲しいままにしたハンガリー代表から西ドイツが「優勝をさらった」大会として知られている。
また1974年大会にはトータルフットボールを掲げたオランダ代表との決勝戦で、フランツ・ベッケンバウアー率いる西ドイツ代表はリベロという概念をピッチに持ち込んで臨み、ワールドカップの決勝戦の中で最も素晴らしい一戦として知られている。
1982年、1986年大会は、2大会連続決勝戦で敗れたが、1990年大会では、ベッケンバウアーが監督としてドイツ代表を率いて参加し、3度目の正直となる決勝戦ではディエゴ・マラドーナ率いるアルゼンチン代表と対戦した。この決勝戦、西ドイツ対アルゼンチンは得点が西ドイツのPKによる1点のみだったこともあって(現在浦和の監督を務めているギド・ブッフバルトが、マラドーナを完封した)、ワールドカップの決勝戦の中で史上最低という不名誉なレッテルを貼られている。
1990年のドイツ再統一により、東西のナショナルチームが合体。ナショナルチームの名前から「東」「西」が外れた「ドイツ代表」が再生した。2006年のワールドカップドイツ大会は「ドイツ代表」がホストとなる最初の大会になった。
20世紀から21世紀の世紀転換期において、ドイツ代表にもヨーロッパ各地で見られる移民の影響が反映されるようになった。ドイツでは中央ヨーロッパ、バルカン半島、そして特にトルコ系移民がドイツ代表に選出されることが増えた。また隣国のフランス代表やイングランド代表ほどではないが、同様にアフリカ系の選手も誕生している。
[編集] ゲルマン魂
ドイツ代表(ここでは西ドイツ時代を中心に指す)と言えば、「ゲルマン魂」と呼ばれる粘りと敢闘精神が売りである。過去にも、幾度となく劣勢からの驚異的な粘りで名勝負を演じてきた歴史がある。
上記にも記されているように、1954年のスイス大会では「マジック・マジャール」と呼ばれ、当時世界最強だったハンガリーに対し、グループリーグで3-8と惨敗したが、再び顔を合わせた決勝戦では2点を先制されながらもその後3点を挙げて逆転勝ちを収めた。
1966年のイングランド大会では、決勝戦で顔を合わせた地元イングランドに対し、1-2で迎えた後半ロスタイムにウェーバーが同点ゴールを挙げる粘りを見せる。結局延長前半10分過ぎに放たれたハーストのゴール(ボールはバーを直撃した後に地面を叩いたが、ゴールラインの中か外か非常に微妙な位置に落ちており、レフェリーは副審にも確認してゴールの判定を下した。コンピュータグラフィックなどによるシミュレーションではゴールの外と言う説が有力になっており、86年大会のマラドーナの神の手ゴールと並んで大会至上最も疑惑のゴールとしても知られる)、その後ハーストにもう1点浴びて力尽きたが、開催国相手の奮闘はゲルマン魂恐るべしを印象付けた。
1970年のメキシコ大会では、準々決勝でその因縁のイングランドと再び顔を合わせる。後半5分までに2点を先制される苦しい展開だったが、23分にベッケンバウアー、36分にゼーラーがゴールを挙げて同点に追いつくと、延長後半3分にミュラーが決勝点を挙げ、前回大会の雪辱を果たした。そして次の準決勝のイタリア戦は、イングランド戦を上回る名勝負を繰り広げるのである。
前半7分に先制され、カテナチオと呼ばれるイタリア伝統の堅い守備に苦しんだが、試合終了間際のロスタイムにシュネリンガーが同点ゴールを挙げる。そして延長前半5分にミュラーが勝ち越しゴールを挙げるが今度はイタリアが逆襲し、8分、11分と立て続けにゴールを挙げて再逆転する激しいシーソーゲームとなる。しかし西ドイツも延長後半5分にミュラーが同点ゴールを挙げる驚異的な粘りを見せる。その2分後にリベラに決勝ゴールを浴びて力尽きたが、2200メートルと言う高地での過酷な死闘に加え、後半に右肩を脱臼しながらも選手交代の枠を使い切ってしまった為に試合終了までピッチに立ち続けたベッケンバウアーの奮闘などのシチュエーションを考えると、この試合が大会至上最も印象に残るゲームと言われている。
1982年のスペイン大会準決勝のフランス戦でもゲルマン魂が爆発する。1-1で迎えた延長前半2分にトレゾール、さらに8分にはジレスのゴールでフランスがリードを奪う。しかし。直後に怪我でスタメンを外れていたルンメニゲが入ると流れが変わり、12分にそのルンメニゲが、そして延長後半3分にはフィッシャーがオーバーヘッドで劇的な同点ゴールを挙げる。試合はこのままPK戦へ突入し、5-4で西ドイツが勝利した。
1986年メキシコ大会は世代交代の過渡期で苦戦の連続だったが、準決勝で因縁のフランスを返り討ちにするなど徐々に調子を上げて2大会連続で決勝進出する。アルゼンチンとの決勝ではマラドーナを抑えながらも前半21分にブラウン、後半10分にバルダーノにゴールを許す苦しい展開。しかし、後半28分にルンメニゲ、更に36分にはフェラーがゴールを挙げる粘りを見せる。その3分後に攻めあがった裏をマラドーナにスルーパスで突かれ、独走したブルチャガに決められて力尽きたが、この西ドイツの粘りはアルゼンチンの圧勝で終わりかかっていた決勝戦を大いに盛り上げた。
ドイツのサッカーはどちらかといえばイタリア同様守備的で、テクニックよりも高さや身体的強さに象徴されるフィジカルを重視する傾向にある為、つまらないとも言われる。しかし、こうした敢闘精神が幾多の名勝負を生み出してきた事も事実であり、その数はブラジルやイタリアといったサッカー大国の中でも群を抜いている事もを確かである。
東西ドイツが統一されて以降、世代交代の遅れなどもあってスター選手がなかなか育たず、ドイツ代表は各国から恐れられる存在ではなくなってきている。ユーロ2000や2004のようにゲルマン魂を発揮することなくあっさりとグループリーグで姿を消すケースも増えてきており、それはベッケンバウアーやルンメニゲ、マテウス、ザマーといった泥臭さを併せ持つリーダーが台頭していないのも一つの原因かもしれない。
しかし、「前評判が低い時のドイツ代表は強い」というのはW杯の舞台では定説となっている。2002年の日韓大会では優勝候補に挙げる専門家が少なかったのにも関わらず準優勝し、地元開催となった2006年ドイツ大会でも、直前まで親善試合で苦戦が続いてドイツ国民からも危ぶむ声があった中、3位入賞を果たしている。逆に優勝候補と祭り上げられている時は早期(といってもベスト8までは進むが)に負けることが多い。
2006年の地元でのW杯で若手主体ながら3位に入る健闘を見せた事で、ようやく名実共に西ドイツ時代のような強豪復活への足がかりを掴みつつある。
[編集] ワールドカップの成績
- 1930年 - 不参加
- 1934年 - 3位
- 1938年 - 1回戦敗退(この大会の出場権を得ていたオーストリアは直前にドイツに併合(ドイツ・オーストリア合邦)されたため棄権扱いとなり、旧ドイツと旧オーストリア両国の選手がドイツ代表として出場)
- 1950年 - 不参加(ドイツサッカー協会のFIFAへの復帰が認められていなかった)
- 1954年 - 優勝
- 1958年 - 4位
- 1962年 - ベスト8
- 1966年 - 準優勝
- 1970年 - 3位
- 1974年 - 優勝(ホスト)
- 1978年 - 2次リーグ敗退
- 1982年 - 準優勝
- 1986年 - 準優勝
- 1990年 - 優勝
- 1994年 - ベスト8
- 1998年 - ベスト8
- 2002年 - 準優勝
- 2006年 - 3位
[編集] 欧州選手権の成績
- 1960年 - 不参加
- 1964年 - 不参加
- 1968年 - 予選敗退
- 1972年 - 優勝
- 1976年 - 準優勝
- 1980年 - 優勝
- 1984年 - グループリーグ敗退
- 1988年 - ベスト4
- 1992年 - 準優勝
- 1996年 - 優勝
- 2000年 - グループリーグ敗退
- 2004年 - グループリーグ敗退
[編集] 選手
[編集] 現在の代表選手
[編集] GK
[編集] DF
- アルネ・フリードリヒ(ヘルタ・ベルリン)
- マリク・ファティ(ヘルタ・ベルリン)
- マヌエル・フリードリヒ(FSVマインツ)
- クレメンス・フリッツ(ヴェルダー・ブレーメン)
- ペア・メルテザッカー(ヴェルダー・ブレーメン)
- フィリップ・ラーム(バイエルン・ミュンヘン)
[編集] MF
- バスティアン・シュバインシュタイガー(バイエルン・ミュンヘン)
- トマス・ヒツルスペルガー(VfBシュツットガルト)
- トルステン・フリンクス(ヴェルダー・ブレーメン)
- パウル・フライアー(バイエル・レバークーゼン)
- ダビド・オドンコール(レアル・ベティス)
- ミヒャエル・バラック(チェルシーFC)
[編集] FW
- ミロスラフ・クローゼ(ヴェルダー・ブレーメン)
- オリバー・ノイビル(ボルシア・メンヒェングランドバッハ)
- マイク・ハンケ(VfLヴォルフスブルク)
- ヤン・シュラウドラフ(アレマニア・アーヘン)
[編集] キャップ
位 | 名前 | キャップ数 | 期間 |
---|---|---|---|
1 | ローター・マテウス | 150 | 1980-1996 |
2 | ユルゲン・クリンスマン | 108 | 1987-1997 |
3 | ユルゲン・コーラー | 105 | 1986-1999 |
4 | フランツ・ベッケンバウアー | 103 | 1965-1976 |
5 | トーマス・ヘスラー | 101 | 1988-1999 |
6 | ウルフ・キルシュテン | 100 | 1985-1998 |
7 | ベルティ・フォクツ | 96 | 1967-1974 |
8 | ゼップ・マイヤー | 95 | 1966-1974 |
8 | カール=ハインツ・ルンメニゲ | 95 | 1976-1986 |
10 | ルディ・フェラー | 90 | 1982-1992 |
[編集] 得点
位 | 名前 | 得点数 | キャップ数 | 期間 |
---|---|---|---|---|
1 | ゲルト・ミュラー | 68 | 62 | 1966-1974 |
2 | ユルゲン・クリンスマン | 47 | 108 | 1987-1997 |
2 | ルディ・フェラー | 47 | 90 | 1982-1992 |
4 | カール=ハインツ・ルンメニゲ | 45 | 95 | 1976-1986 |
5 | ウーベ・ゼーラー | 43 | 72 | 1954-1966 |
[編集] 監督
名前 | 期間 | 試合数 | 勝 | 分 | 負 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
ドイツサッカー協会技術委員会 | 1908-1927 | 63 | 18 | 13 | 32 | |
オットー・ネルツ | 1928-1936 | 70 | 42 | 10 | 18 | |
ゼップ・ヘルベルガー | 1936-1964 | 162 | 92 | 26 | 44 | 1954年ワールドカップ優勝 |
ヘルムート・シェーン | 1964-1978 | 139 | 87 | 30 | 22 | 1966年ワールドカップ準優勝、サッカー欧州選手権1972優勝 1974年ワールドカップ優勝、サッカー欧州選手権1976準優勝 |
ユップ・デアヴァル | 1978-1984 | 67 | 45 | 11 | 11 | サッカー欧州選手権1980優勝、1982年ワールドカップ準優勝 |
フランツ・ベッケンバウアー | 1984-1990 | 66 | 36 | 17 | 13 | 1986年ワールドカップ準優勝、1990年ワールドカップ優勝 |
ベルティ・フォークツ | 1990-1998 | 102 | 67 | 23 | 12 | サッカー欧州選手権1992準優勝、サッカー欧州選手権1996優勝 |
エーリッヒ・リベック | 1998-2000 | 24 | 10 | 6 | 8 | 一時期、ウリ・シュティーリケと共同監督 |
ルディ・フェラー | 2000-2004 | 53 | 29 | 11 | 13 | 2002年ワールドカップ準優勝 |
ユルゲン・クリンスマン | 2004-2006 | 24 | 13 | 6 | 5 | 2006年ワールドカップドイツ大会第3位 |
ヨアヒム・レーヴ | 2006- | |||||
合計 | 770 | 439 | 153 | 178 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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