ペデスタル作戦
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ペデスタル作戦(Operation Pedestal)とは、1942年8月にイギリス海軍により行われたマルタ島への補給作戦である。作戦名のペデスタルは礎石を意味する。これを阻止しようとするドイツ、イタリアを中心とした枢軸国軍との間で戦闘が生起した。
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[編集] 背景
マルタ島は地中海中部に浮かぶ英国領(当時)であり、地中海の両端にジブラルタル、アレクサンドリアの両根拠地を擁していたイギリス海軍にとっては地中海戦略の要ともいうべき重要拠点であった。またマルタ島は枢軸国のイタリアと北アフリカとの間にあり、ロンメル将軍率いるアフリカ軍団への補給線の真上に位置していた。
このためマルタ島を基地とする航空機、艦船によりロンメル将軍の補給線は深刻な影響を受け始めていた(1941年後半の船舶損耗率は80%近くにまで達した)。
事態を憂慮した枢軸側はマルタ島への空襲を開始し、海上封鎖を実施した。これにより物資の大部分を輸入に頼っていたマルタ島は深刻な物資不足に見舞われる。食糧をはじめとする物資はすべてが配給制となり、残り少ない物資だけでは島が降服せざるを得なくなるのは時間の問題と予測された。英国は数次にわたり補給船団を組織するが、そのどれも封鎖網に阻まれ、一部しかマルタ島に物資を届けることはできなかった(ヴィガラス作戦、ハープーン作戦等参照)。
部分的な補給により小康は得たものの、依然としてマルタ島は物資不足の状態が続き、特に軍需及び生活物資として必需品であった石油の不足は致命的であり、マルタ島の全面降服は石油が無くなるその日とみなされた。マルタ総督府の計算による全面降伏のXデイは1942年8月31日から9月7日の間であった。
[編集] 経過
Xデイ間近の8月2日、連合軍の地中海兵站体制の切り札的存在であった当時世界最大の石油タンカーオハイオを含む14隻からなる輸送船団WS21Sがマルタ島へむけイギリスを出発した。Xデイ以前に到着しうる最後の補給船団であり、この船団が失敗した場合マルタ島が降服を余儀なくされるのは自明のことであった。
この時、援ソ船団が一時休止していたこともあり(北極海の戦い)、戦力に若干余裕のあったイギリス海軍は本国艦隊などより戦力を抽出できた。戦艦ネルソン、ロドネイ、空母ヴィクトリアス、インドミタブル、フューリアス、イーグル、アーガス[1]以下多数の艦艇で構成される強力な護衛艦隊(F艦隊)を編成、あわせて中東方面での陽動出撃も計画した。航海途中の空母フューリアスより、陸上機であるスピットファイア戦闘機部隊を発進させ、マルタ島へ航空兵力を増援するベロー作戦も実施された。この輸送計画は、すぐさま枢軸国側の察知するところとなり、地中海において激戦が展開された。
8月11日、イギリス海軍の空母イーグルがドイツ海軍潜水艦U-73の攻撃で魚雷4本が命中して撃沈されたものの、空母フューリアスはマルタ島に向けてスピットファイアを無事に発進させ、任務を終えてジブラルタルに後退した。発進した戦闘機部隊も無事にマルタ島にたどり着いた。しかし、その後も枢軸国軍の接触は続き、アルジェ沖でフェーリアスを護衛していた駆逐艦ウォルベリン(旧式改W型)がイタリア王国海軍潜水艦ダガブールを撃沈し、マルタ島に向かう船団にはイタリア空軍の戦闘機(フィアットCR.42、MC.202 Folgore)、戦闘爆撃機(Re2001)、攻撃機(SM.84)が来襲した。
8月12日、イタリア海軍は速度の速い6隻の巡洋艦を主体にした巡洋艦部隊を編成して、船団の入港を阻止するため出撃した。夜が明けるとドイツ空軍の急降下爆撃機(ユンカースJu 88)が来襲し、正午になると枢軸国空軍の攻撃を受けたが、枢軸国側の不手際で同時に攻撃できなかったため、船団は被害を受けることなく艦上戦闘機(マートレット、シーハリケーン)が撃退した。午後にも枢軸国空軍が来襲し、今度は巧みな攻撃で英空母インドミタブルが大破した他、駆逐艦1隻と輸送船1隻が撃沈された。発着能力を失ったインドミタブルは駆逐艦4隻の護衛を受けてジブラルタルへ後退した。日没後、伊潜水艦アクスムの攻撃で英軽巡カイロが撃沈され、英軽巡ナイジェリアと英タンカーオハイオが損傷した。さらに、伊潜水艦アラジと伊潜水艦ブロンゾの攻撃で英軽巡ケニアが損傷、2隻の輸送船が撃沈された。損傷した英軽巡は数隻の駆逐艦を伴って後退した。
翌13日にマルタ島に迫った船団に対し、シチリア島(英名シシリー)に拠点を構えるドイツ空軍ケッセリング元帥は出動したイタリア海軍の巡洋艦部隊の能力を軽視し、あくまでも航空攻撃による阻止に固執したため、直掩を期待できないと判断したイタリア海軍のスーパーマリーナは巡洋艦部隊をシチリア島メッシーナに退避するよう命じた。しかし、退避中に伊重巡ボルツァーノと伊軽巡アッテンドーロは英潜水艦サファリ、アンブロークンの攻撃で損傷した。チェニジア沖に達した船団は英軽巡マンチェスターがドイツ海軍魚雷艇S-ボート(英名E-ボート)の攻撃で損傷した他、輸送船6隻が撃沈された。オハイオもJu 88の爆撃を受けて深刻な損傷を受け、一時期は速度4ノットまで落ちた。マンチェスターの乗員は復旧に全力をあげたもののマンチェスターは沈没してしまい、乗員の大半が味方の駆逐艦に移乗した。船団は莫大な損失をこうむったものの、マルタ島から発進したスピットファイアとボーファイターの掩護を受けながらマルタ島バレッタのグランド・ハーバーに到着した。
[編集] 参加艦船
[編集] イギリス海軍
輸送本隊
- 船団護衛艦隊(F艦隊:サイフレット提督)
- 輸送船団(WS21S船団)
- エンパイア・ホープ、ワイランギ、ワイマラマ、メルボルン・スター、ブリズベン・スター、ドーセット、グレノーキー、ポート・チャルマース、ロチェスター・キャッスル、デューカリオン、クラン・ファーガソン、サンタ・エリザ、アルメリア・ライクス、オハイオ
- 計14隻
このほか中東方面(ハイファ、アレクサンドリア)からそれぞれ陽動作戦のための船団が出航した。
[編集] イタリア海軍
- 重巡洋艦
- ゴリツィア、ボルツァーノ(損傷)、トリエステ
- 軽巡洋艦
- 駆逐艦
- 17隻
[編集] その後の影響
イギリス海軍は空母1隻、巡洋艦2隻、駆逐艦1隻、輸送船9隻を撃沈されたがマルタ島への物資の補給に成功し、島は降伏の危機から脱することができた。特にマルタ島の生命線である多量の石油を搭載したオハイオは熾烈な戦闘を経験し、7発の直撃弾と20発の至近弾を受けたが、駆逐艦(ペン)1隻と護衛駆逐艦(レッドベリー、ブランハム)2隻、掃海艇(ライ)に曳航、護衛され、15日にマルタ島に入港した。オハイオは激しい浸水により乗組員が甲板から素手のままバケツで消火用の海水を汲み上げることができたという話が伝わっている。輸送船ブリズベン・スターもドイツ空軍の攻撃で損傷したため到着が遅れ、14日に入港を果たした。
枢軸国は1隻の潜水艦と39機の航空機を失って船団の阻止に失敗した。物資と燃料、新たな戦闘機が供給されたマルタ島は防空能力が強化され、攻略や屈服は困難となった。そのため、枢軸国側の補給線が常に不安定な状態に陥り、ロンメル将軍の作戦行動は大いに制約され、北アフリカ戦線における第二次エル・アラメイン会戦の勝敗を決する一因となったされている。
[編集] 参考図書
- ↑ Peter Shankland / Anthony Hunter :『マルタ島攻防戦』、杉野 茂訳、朝日ソノラマ、1986年、ISBN 4-257-17078-6
- John Wingate(著)、秋山信雄(訳)、マルタ島の潜水艦部隊の活躍、『イギリス潜水艦隊の死闘』、早川書房、2000年、ISBN 4-15-207857-X
- 『無頼船長トラップ』、早川書房、この時期のマルタ島海域を舞台にした海洋冒険小説
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