マタパン岬沖海戦
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マタパン岬沖海戦 | |
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戦争: 第二次世界大戦 | |
年月日: 1941年3月27日-3月29日 | |
場所: 地中海、ギリシャマタパン岬沖 | |
結果: 連合軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
イギリス海軍、オーストラリア海軍 | イタリア海軍 |
指揮官 | |
アンドリュー・カニンガム子爵 | アンジェロ・イアキノ提督 |
戦力 | |
空母1、戦艦3、軽巡洋艦3、駆逐艦17 | 戦艦1、重巡洋艦6、軽巡洋艦2、駆逐艦17 |
損害 | |
雷撃機1機 | 巡洋艦3隻、駆逐艦2隻沈没、戦艦大破 |
マタパン岬沖海戦(—みさきおきかいせん、Battle of Cape Matapan,Battaglia di Capo Matapan)は第二次世界大戦中にイギリス海軍及びオーストラリア海軍とイタリア海軍の間で行われた海戦。地中海でイギリス軍の輸送を妨害しようとする枢軸国イタリア海軍艦隊に対して、連合軍イギリス・オーストラリア海軍艦隊が航空攻撃と砲撃戦を行った。
目次 |
[編集] 背景
1940年10月28日、バルカン半島にあるギリシャがイタリア軍の攻撃を受けたため、イギリス軍はクレタ島に軍を進駐させた。そのイタリア軍は現地のギリシャ軍が撃退し、逆にイタリア領へ侵攻を行った。これを見かねたドイツが武力を背景にした外交で枢軸国への強制参加を着々と進め、1941年3月1日にブルガリアが枢軸国に加わり、3月25日にはユーゴスラヴィアも下った(バルカン半島の戦い)。
ソ連侵攻を控えたドイツ軍はイギリス軍の脅威を排除するためギリシャ侵攻を予定していた。しかし、ドイツ軍の海軍戦力は数も少なくバルト海方面にあったため、イタリア海軍に対しギリシャへのイギリス軍補給路攻撃を求めた。イギリス軍は2月25日にはカステロリゾ島の占領を試み(アブステンション作戦)、3月にはギリシャへの陸軍部隊の移送(ラスター作戦)を開始していた。イタリアのリッカルディ提督はドイツの求める作戦には否定的であったが、結局作戦は行われることになりイタリア海軍は3月26日に艦隊を出撃させた。
[編集] 経過
3月28日、通信傍受と暗号解読により、イタリア海軍の動静をつかんだイギリス海軍がイタリア海軍に攻撃を仕掛けたところから海戦が始まった。一方のイタリア海軍は十分に戦力を集中することができず、不利な状況のまま海戦を戦うことになってしまった。イギリス海軍は空母フォーミダブルを擁し、4次に渡って艦上攻撃機ソードフィッシュで航空攻撃を繰り返した。この航空攻撃でイタリア海軍は戦艦ヴィットリオ・ヴェネトが大破、重巡洋艦ポーラが中破、と損傷させた。
イギリス海軍は夜間に入って航空攻撃ができなくなると、戦艦ヴァリアントがレーダーを用いてイタリア海軍に砲撃を行い、戦艦ウォースパイト、バーラムがそれに続いた。イタリア海軍は性能不十分なレーダーで探知できず、ゆっくりと退避していたため、重巡ポーラの護衛にあたっていた重巡ザラ、フューメは満足な反撃もできないまま、大口径砲の近距離射撃を受けて撃沈された。同じく重巡ポーラの護衛に残留した駆逐艦部隊も、戦艦に反撃を行おうとしたところで砲撃を受け、駆逐艦ヴィットーリオ・アルフィエーリ、ジョズエ・カルドゥッチが撃沈され、その後、重巡ポーラも魚雷で撃沈された。
イタリア海軍は重巡3隻と駆逐艦2隻を撃沈され、本国へ敗走した。海戦はイギリス・オーストラリア海軍の圧勝であった。
[編集] 参加艦艇
[編集] イギリス海軍
地中海艦隊(A部隊、B部隊、D部隊)
- アンドリュー・カミンガム提督(地中海艦隊司令長官代理)
- P・W・ヘンリー提督
- AG 9 船団
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- 軽巡洋艦:カーライル、カルカッタ
- 駆逐艦:ディフェンダー、ジャガー、ヴァンパイア(HMAS)
- GA 8 船団
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- 軽巡洋艦:ボナヴェンチャー
- 駆逐艦:デコイ、ジュノー
[編集] イタリア海軍
- 戦艦:ヴィットリオ・ヴェネト
- 重巡洋艦:トレント、トリエステ、ボルツァーノ、ザラ(沈没)、フューメ(沈没)、ポーラ(沈没)
- 軽巡洋艦:ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッチ、ジュゼッペ・ガリバルディ
- 駆逐艦:アルピーノ、ベルサリエーレ、フチリエーレ、グラナティーレ、エマヌエレ・ペッサーノ、ニコロソ・ダ・レッコ、アスカリ、カラビニエーレ、コラツィエーレ、ヴィットーリオ・アルフィエーリ(沈没)、ジョズエ・カルドゥッチ(沈没)、ヴィンチェンツォ・ジョベルティ、アルフレード・オリアーニ
[編集] その後
海戦の結果、イタリア海軍は地中海における制海権を著しく損ない、専ら本国周辺で活動するようになる。一方、イギリス海軍はその後の地中海への影響力を大きくし、クレタ島やマルタ島の攻防戦において、艦隊を自由に使うことができた。このため、ドイツ軍ドイツアフリカ軍団は満足な補給を受けることが困難になり、イギリスの反撃作戦を撃退する際など北アフリカ戦線に少なからず影響を与えた。
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