フジノオー
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性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1959年 |
死没 | 1981年6月2日 |
父 | ブリッカバック |
母 | ベルノート |
生産 | 不二牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 藤井一雄 |
調教師 | 橋本輝雄 |
競走成績 | 79戦25勝 (障害40戦22勝、海外16戦2勝) |
獲得賞金 | 4099万3100円 |
フジノオーは、日本の競走馬。1960年代、中山大障害を4連覇し、イギリスのグランドナショナルにも挑戦した、障害の名馬。
馬名の由来は、馬主の藤井一雄が「藤の王」となるべく名付けた。
馬年齢は当時の基準である「数え年」で記述する。
[編集] 戦績
1962年1月に平地競走でデビューするが、15戦1勝と言う惨憺たる数字。障害に転向後も3戦目で勝ちあがり、初めての中山大障害は(騎手の落馬による)競走中止と、その後の成績からは考えられない成績であった。
初めてフジノオーが中山大障害を勝ったのは1964年の秋。当時は56kgと、障害レースにしては軽い斤量での制覇だった。その頃から、フジノオーは障害レースで安定した強さを発揮するようになる。しかしそうやって勝つたびに、オープンの障害レースでは酷なハンデキャップを背負わねばならなくなった。そして日本での最後の1年は、平地競走を合間に使いながら障害レースに使うことになった。現在の中央競馬の体系では、1年に48kgと72kgの両方を背負って走ることは考えにくい(日本では60kg以上を背負う競走馬の例が1980年代以降相当に少なくなっている)。
そして8歳から、フジノオーはヨーロッパでの障害レースに出るようになる。2戦目にはグランドナショナルにも挑戦した。強い馬ほど重い斤量を背負うべきという考えのあるヨーロッパでは、フジノオーは76.2kgという過酷な斤量を背負うことになる。果敢に障害に挑んでいったフジノオーだが、残念ながら15台目の障害でついに跳躍を拒否、競走中止となってしまう。しかしその後もヨーロッパにとどまり、2勝をあげて翌1965年9月、ついに引退する。
[編集] 競走成績
1962年(17戦1勝)
1963年(17戦8勝)
- 中山大障害(秋)
1964年(16戦11勝) - 最優秀障害馬
- 中山大障害(春)、中山大障害(秋)
1965年(13戦3勝) - 最優秀障害馬
- 中山大障害(春)
1966年(10戦0勝) - ヨーロッパ遠征
1967年(6戦2勝) - ヨーロッパ遠征
- レーヌ賞、レルミット賞
[編集] 血統表
フジノオーの血統 (マンノウォー系(マッチェム系)/アウトブリード) | |||
父
*ブリッカバック Bric a Bac 1941 栗毛 |
War Admiral 1934 黒鹿毛 |
Man o'War | Fair Play |
Mahubah | |||
Brushup | Sweep | ||
Annette K. | |||
Bloodroot 1932 鹿毛 |
Blue Larkspur | Black Servant | |
Blossom Time | |||
Knockaney Bridge | Bridge of Earn | ||
Sunshot | |||
母
*ベルノート Bell Note 1949 鹿毛 |
Midstream 1933 鹿毛 |
Blandford | Swynford |
Blanche | |||
Midsummer | Abbots Trace | ||
Dew of June | |||
Golden Emblem 1942 栗毛 |
Hall Mark | Heroic | |
Herowinkie | |||
Hasta | Spearhead | ||
Charmarcia F-No.1-j |
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