ハザール
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ハザール(Khazar)は、7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北で栄えた遊牧国家。支配者層はテュルク系と推測されている。交易活動を通じて繁栄した。アラビア語、ペルシア語資料では خزر Khazar と書かれている。日本語では「ハザル」あるいは「カザール」と表記されることもある。
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[編集] 歴史
突厥の宗主権下で、6世紀頃より台頭した。7世紀半ばに突厥の衰退にともなって独立を果たした。『旧唐書』などに出てくる康国(サマルカンド周辺)に北隣する「突厥可薩部」がこの「ハザール」のことと考えられている。10世紀のペルシア語の地理書『世界境域』に書かれているハザル人たちの諸都市の項目によれば、ハザールのハーカーン(後述)は「アンサーの子孫に属す(az farzandān-i Ansā' ast)」と書かれており、この「アンサー」とは突厥王家である阿史那氏の訛音ではないかとも言われている。突厥帝国の内紛に乗じて635年にブルガールが独立し、ハザールも程なくして独立したと見られている。653年にブルガール国を滅ぼす一方で、イスラム勢力と対立を続け、730年にブラン・カガンがユダヤ教に改宗し、カフカスを超えてアルバニア侵入ののちアルダビールまで占領した。しかし、735年にウマイヤ朝カリフヒシャームは従兄弟のマルワーン・ブン・ムハンマドを派遣し、麾下のウマイヤ朝軍1万5千は逆にヴォルガ河畔まで進撃した。これに窮したカガンは司令官マルワーンに和睦を申し入れ、イスラームに改宗を約束した。この遠征を受けてハザールはウマイヤ朝カリフの宗主権を一時認めさせられた。まもなく独立を回復させると、799年にオバデア・カガンは再びユダヤ教を公的に受容し、またヴォルガ川の河口付近に首都イティル(アティル)を建設した。こうして9世紀までに、ハザルの支配者層はユダヤ教を受容したが、住民はイスラム教徒が多かったと考えられている。9世紀後半より衰え、都のイティルをキエフ・ルーシ(キエフ大公国)のスヴャトスラフ大公に攻撃され、国家は解体へむかった。
ハザルが衰える一方でブルガルが勢力を回復させ、首長アルミシュはアッバース朝に接近してハザルからの自立を図った。この際の922年にカリフ・ムクタディルの使節に随伴したイブン・ファドラーンによる記録が『ヴォルガ・ブルガール紀行』として残されている。また954年から961年にかけて、後ウマイヤ朝のユダヤ教徒出身のワズィール、ハスダイ・イブン・シャプルトとハザールのヨセフ・カガンとの間で交わされた往復書簡が残されている。
[編集] 政治
当初はカガン(al-Khāqān ハーカーン、可汗)が権力の頂点にあったが、次第にその地位は名目的なものになった。そのため、宗教的権威を有するカガンと、事実上の支配をおこなうベク(シャド)が並び立つ統治体制へと移行した(二重王権制)。支配者層は、多くの遊牧国家と同様季節移動する豪華なテント群を宮廷とし、夏の間は草原地帯での生活を送り、冬は都イティルの周辺などで過ごした。
[編集] 経済
9世紀以降ノルマン人の活動が盛んになり、バルト海からカスピ海北岸にかけて交易活動で活躍した。当時のカスピ海は、イスラム側からは「ハザルの海」(アラビア語 baḥr al-Khazar /ペルシア語 daryā-yi Khazar)と称されていた。ノルマン人は北欧・ロシアから毛皮・奴隷などをもたらした。ハザルは、魚の膠を輸出した。その他、ユダヤ商人、ムスリム商人など様々な商人が訪れたことで、各地の商業ネットワークが結びついていた。
[編集] 宗教
ムスリム商人の活動にともない、イスラムの受容が進んだ。ただし、9世紀に支配者層はユダヤ教に改宗した。その理由として、ギリシア正教のビザンツ帝国とイスラムのアッバース朝から等距離を図るための選択という説もあるが、断定はできない。
中世西ヨーロッパのユダヤ人口は数万人に過ぎなかったのに17世紀東欧のユダヤ人口が数十万あったことは西方からの移民では説明できない、などの傍証から、今日ユダヤ教徒の大半を占めるアシュケナジムは、このハザール系ユダヤ教徒の子孫であるという説が有力である。テルアビブ大学のユダヤ史の教授A.N.ポリアックが提唱した学説に依拠したアーサー・ケストラーの『第十三支族』によって、東欧ユダヤ人ハザール起源説は広く知られるようになった。1993年、テルアビブ大学の教授である言語学者ポール・ウェクスラーはイディッシュ語がスラブ系言語に起源を持ち、後にドイツ語の語彙を取り入れたものであることを示し、東欧のアシュケナジムはユダヤ教に改宗したスラブ系およびトルコ系民族にごくわずかの中東系ユダヤ人が合流したものであるとする『The Ashkenazic 'Jews': A Slavo-Turkic People in Search of a Jewish Identity』を発表している。
このようにイスラエル国内で学術的研究が進んでいるにもかかわらず、欧米や日本では東欧ユダヤ人ハザール起源説をユダヤ人の「イスラエル帰還」の正当性を脅かすものとみて「反ユダヤ主義者の反イスラエル・プロパガンダである」として退けようとする親シオニストの政治的主張がまま見られる。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 栗本慎一郎『パンツを脱いだサル-ヒトは、どうして生きていくのか』、現代書館、2005年4月。ISBN 4-7684-6898-5
- アーサー・ケストラー(宇野正美訳)『ユダヤ人とは誰か-第十三支族・カザール王国の謎』、三交社、1990年5月。ISBN 4-87919-102-7
- S・A・プリェートニェヴァ(城田俊訳)『ハザール謎の帝国』、新潮社、1996年3月。ISBN 4-10-532301-6
- イブン・ファドラーン(家島彦一訳註)『イブン・ファドラーンのヴォルガ・ブルガール旅行記』、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1969年3月。