ニュージーランド労働党
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ニュージーランド労働党(Labour Party of New Zealand)は、ニュージーランドの中道左派、社会民主主義政党。社会主義インターナショナル加盟。ニュージーランド国民党とともにニュージーランドの2大政党の一翼を担っている。2006年現在の党首はヘレン・クラーク(首相)。ニュージーランド・ファースト党などと連立を組んで政権与党の座にある。
労働組合を組織母体として1910年に誕生。社会民主主義政党として、労働条件の改善や女性の社会進出、高福祉社会や人種の枠を超えた平等社会の実現を主な政策としており、先住民であるマオリ族に対する優遇政策を採っている。またイギリス労働党などと同様、基幹産業の国有化をめざしていた。
1929年の世界恐慌を契機として党支持者が増え、1935年には改革党・統一党による保守連合を破り、初めて政権を獲得した。以後1949年まで長期政権を樹立し、この間に年金・医療保険の給付、公営住宅の供給、マオリの地位向上を推進するなど、福祉国家としての基礎が形成された。1957年~60年のナッシュ政権、1972年~75年のカークおよびローリング政権、1984年7月にはロンギ政権がそれぞれ誕生している。ロンギ政権の下では伝統的な社会民主主義路線からの脱却が図られ、大胆な規制緩和、公営部門の民営化、貿易などの自由化などの改革を行った。これらの政策は世界に先駆けるものとして脚光を浴び、ニュージーランドはきわめて規制の少ない国になった。これらの改革路線はライバルの国民党が政権を獲得しても受け継がれ、ニュージーランド経済は順調に発展。赤字だった国家財政も1993年には黒字に転じた。
しかし、自由化の行き過ぎにより、貧富の格差の拡大、福祉レベルの低下などの弊害が現れるようになったため、現在のクラーク政権はある程度政府による介入を復活させている。
戦後の政権交代のパターンは、時期的にはオーストラリアの自由連合とオーストラリア労働党の政権交代と非常に似ている。フランスによるムルロア環礁での核実験に強く反対し続け、またロンギ政権下では核兵器搭載または核推進のアメリカ艦艇の入港を拒否するなど、南太平洋の非核化に積極的となり、太平洋安全保障条約(アンザス条約)に物議を醸した。