デヴィッド・ギルモア
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デヴィッド・ギルモア CBE(David Gilmour, 1946年3月6日-)は、英国のケンブリッジ出身のミュージシャン、ギタリスト。1968年にプログレッシブ・ロック・バンド、ピンク・フロイドに正式メンバーとして加入。フロイド・サウンドを支えるギタープレイやヴォーカルで活躍する。ピンク・フロイドの他メンバーより2歳年下であるが、元メンバーのシド・バレットとは同い年で、学生時代からの知り合いである。
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[編集] ピンク・フロイド加入まで
幼少の頃からギターを弾き始め、10代後半で様々なローカル・バンドで活躍するセッション・ミュージシャンとなる。その頃、既にプロデビューしていたピンク・フロイドのシド・バレットが、過剰なドラッグ(LSD)摂取により活動続行が困難な状況になっていた。そこで代わりのギタリストを捜さなければならなくなり、旧友のギルモアに白羽の矢が立てられることとなった。ギルモアは当時、ジョーカーズ・ワイルドというバンドで活動していたが、行き詰まりを見せていたため、既にプロデビューを済ませ、ヒット曲も持っているフロイドへの加入を快諾し、その一員となった。
[編集] ピンク・フロイドのメンバーとしての活動
当初の予定では、シドは曲作りやレコーディングで活動してもらい、ギルモアはライブやメディア出演での活動を行うように考えていた(ちょうど、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンのような形にしようとしていた)。しかし、シドの症状はあまりにも酷く、バンドからの脱退(実質は解雇)を余儀なくされる。
フロイド加入後は、ブルースを基本とするギタープレイでバンドの要として活躍していく。決して派手さはないものの、ギルモア独特のハイトーンで叙情的なギター・パートはフロイド・サウンドに欠くことのできない要素となっている。
1987年発表の『鬱』以降は、再始動したピンク・フロイドのリーダーとしてバンドを率い、ベースやキーボードなども演奏している。このように、ギルモアはソングライティングやヴォーカルを含む音楽面の貢献から、バンド内でロジャー・ウォーターズに次いで大きな役割を果たしていた。
[編集] ピンク・フロイド以外の活動
ケイト・ブッシュの発掘・デビューに一役買ったことは有名である。デビュー前にケイトの兄から紹介された彼女の歌声に惚れ込み、デモテープ作りからステージ演奏までギルモアが面倒を見ていたほどであった。
80年代からは、フロイド以外にもスタジオ・ミュージシャンとして多くのセッションに参加している。ウイングス、ポール・マッカートニー、ロイ・ハーパー、エルトン・ジョン、スーパートランプ、ドリーム・アカデミー、ポール・ヤング、フィル・マンザネラなどの作品に貢献している。
1978年『David Gilmour』、1984年『About Face』の2枚のソロ・アルバムも発表している。そして、2006年には22年振りとなる最新作『On An Island』を発表し、ソロとしては初となる全英1位を獲得した。
1984年、2002年、2006年にソロ名義のツアーを行っている。2002年、2006年ツアーにはリチャード・ライトが同行している他、2006年5月31日ロンドン公演ではニック・メイスンの飛び入りも確認されている。しかし、依然としてピンク・フロイド再始動に関しては否定的である。
[編集] ディスコグラフィ
- 『デヴィッド・ギルモア』 David Gilmour (1978) 全英17位・全米29位
- 『狂気のプロフィール』 About Face (1984) 全英21位・全米32位
- 『オン・アン・アイランド』 On An Island (2006) 全英1位・全米6位
[編集] 映像作品
- David Gilmour (1984)※日本未発売
- 『デヴィッド・ギルモア イン・コンサート』 David Gilmour In Concert (2002年)
- 『ポール・マッカートニー/ライヴ・アット・キャバーン』Live at the Cavern Club (2000年)(ギタリストとして参加)
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