セント・オールバーンズの戦い (1455年)
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セント・オールバーンズの戦い | |||
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戦争: 薔薇戦争 | |||
年月日: 1455年 5月22日 | |||
場所: イングランド ハートフォードシャー(Hertfordshire)のセント・オールバーンズ | |||
結果: 決定的なヨーク家の勝利 | |||
交戦勢力 | |||
ヨーク家 | ランカスター家 | ||
指揮官 | |||
ヨーク公リチャード ウォリック伯 リチャード |
サマセット公エドムンド | ||
戦力 | |||
3,000 | 2,000 | ||
損害 | |||
不明 | 300 | ||
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セント・オールバーンズの戦いは、1455年5月22日にセント・オールバーンズの町での戦闘である。薔薇戦争の最初の戦いでもある。
[編集] 戦いの進行
ヨーク公リチャードと彼の同盟者であるウォリック伯リチャードは、サマセット公エドムンド率いるランカスター派を打ち破り、エドムンドを殺した。ヨーク派は国王ヘンリー6世を捕らえ、譲位を要求した。
約3,000の精強なヨーク派軍に側面に回り込まれるのを避けるために、ヘンリー6世の2,000名の軍勢は町の中に戻り、ホーリーウェルとセント・ピーター通りにバリケードを構築してヨーク派の東進を防ごうとした。だがヨーク派の攻撃はあまりに速く、ランカスター派は驚いて対応に追われた。両軍とも、この戦闘は1452年のブラックヒースの戦いの時のような平和的解決が可能と考えており、実際攻撃の直前まで和平工作を行っていた。だが、狭い道路でのランカスター派の二正面攻撃からの攻撃に対して進軍が出来なくなったヨーク派は、多数の死傷者を出した。
ウォリック伯は彼の手持ちの兵を連れ出し、裏路地や庭園を抜け、町の防備の薄い箇所を通っていった。突然、ウォリック伯の奇襲部隊はランカスター派の本体がのんびりくつろいで座っている市場の広場に現われた。彼らがまだ戦闘が継続していると考えていなかった証拠に、彼らの多くは兜さえ脱いでいたのだ。ウォリック伯はその少数の兵ですぐさま突撃し、ランカスター派の構築した2つのバリケードを破壊した。
ウォリック伯はそれから、弓の射手に王の周りにいる者たちを射るように命じた。射手は何人かを殺し、多くの貴族(王と軍司令官であるバッキンガム公を含む)に怪我をさせた。ウォリック伯は彼自身の敵の1人であるサマセット公も城外で殺している。
バリケードに配置されたランカスター派の兵は中央広場に敵が現われた事を知り、背後からの襲撃を恐れてバリケードを放棄した。まもなくヨーク派がなだれ込んできて、総崩れになった。
軍事的な意味では、セント・オールバーンズの戦いは死者恐らく300名程度という事で大きな勝利ではなかった。だが政治的な意味では、王はヨーク公に捕らえられ、ライバルのサマセット公は戦死し、ウォリック伯の宿敵であるノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーとクリフォード卿は総崩れ、というヨーク派の圧勝であった。