ハンフリー・スタフォード (バッキンガム公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バッキンガム公ハンフリー・スタフォード(Humphrey Stafford, 1402年 - 1460年7月10日)は、百年戦争・薔薇戦争で軍司令官として最もよく知られていた。
彼はスタフォード伯エドムンドとアン・オブ・グロスター(トーマス・ウッドストックの娘で、国王エドワード3世の孫でもある)の息子である。
ハンフリーが小さい子供の時、彼の父親が死んだ。そして彼は、莫大な財産と、1ダース以上の州の土地とを相続して、第6代スタフォード伯になった。
1444年、彼はフランスで軍功を上げて、バッキンガム公に列せられた。
薔薇戦争にはランカスター派として参戦し、セント・オールバーンズの戦いで自身も負傷し、長男のハンフリーはこの戦闘で戦死している。
彼は1460年にノーサンプトンの戦いで戦死した。 長男が既に死亡していたので、ハンフリーの爵位は孫のヘンリーが継承した。
[編集] 家族
ハンフリーには息子が3人おり、そのうち2人が同じ名前のいとこと結婚した。
- ハンフリー・スタフォード (スタフォード伯) ( ? - 1455年)
- マーガレット・ボーフォート (エドムンド・ボーフォート (第2代サマセット公)の娘) と結婚した。
- ヘンリー・スタフォード卿 ( ? - 1481年)
- マーガレット・ボーフォート (ジョン・ボーフォート (サマセット公)の娘でリッチモンド伯エドムンド・テューダーの未亡人) と結婚した。
- ジョン・スタフォード (ウィルトシャー伯) ( 1420年 - 1473年)
官職 | ||
先代: スタフォード伯 |
大司馬 1403 - 1460 |
次代: バッキンガム公 |
先代: ジェームズ・ファインズ |
シニック港長官 1450 - 1459 |
次代: リヴァース伯 |
爵位 | ||
先代: 新設 |
バッキンガム公 1444-1460 |
次代: ヘンリー・スタフォード |
先代: エドムンド・スタフォード |
スタフォード伯 1403-1460 |
カテゴリ: 薔薇戦争の人物 | イングランド史の人物 | 1402年生 | 1460年没