セオドール
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参戦年度 | 1978 , 1981 - 1983 |
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出走回数 | 34 |
コンストラクターズタイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 2 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1978年南アフリカGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1983年ヨーロッパGP |
セオドール (中国語名:徳利賽車隊・香港、英語名:Theodore Racing) は、1978年と、1981年から1983年までF1に、その後はF3などに参戦していたレーシングチーム。F1時代の本拠地はイギリスにあった。
目次 |
[編集] 概要
[編集] F1
自らドライバーとしてマカオグランプリなどに参戦し、また、同グランプリにフォーミュラ3などのチームオーナーとしても参戦。他にもF1においては1974年からアメリカのエンサインにスポンサーとして参入していたインドネシア(生誕当時はオランダ領であった)生まれで、香港(当時イギリス領)を拠点として活躍していた東南アジア有数の大富豪で実業家のテディ・イップ(本名:セオドール・"テディ"・イップ)がチームオーナーとなって1978年から1983年までF1に参戦した。
[編集] その他
F1活動停止後も、マカオを拠点にマカオグランプリなどにおいて1990年代まで同名での参戦を継続し、マカオグランプリの強豪(名物)チームとしてモータースポーツ界にその名を轟かせた。
[編集] 歴史
[編集] 第1期
参戦初年度の1978年のドライバーは、後にワールドチャンピオンとなるフィンランド人ドライバーのケケ・ロズベルグとアメリカ人のエディ・チーヴァーを揃えた。早くも同年にイギリスで行われた非選手権レースで、ロズベルグが優勝するなど幸先のいいスタートを飾るが、この年を持って一旦撤退しスポンサーとしての活動に戻る。
[編集] 1978年
- マシン:セオドールTR1・コスワース
- ドライバー:ケケ・ロズベルグ/エディー・チーバー
[編集] 第2期
1981年より再参入をし、2回の入賞をするものの戦闘力が高くないことから優勝を飾ることはなく1983年を持ってF1から撤退する。なお、4年間に合計51レースにエントリーし獲得ポイントは2点と、プライベートチームとしては上々の結果であった。
[編集] 1981年
- マシン:セオドールTY01・コスワース
- ドライバー:マーク・スレール/パトリック・タンベイ
[編集] 1982年
- マシン:セオドールTY02・コスワース
- ドライバー:ジェフ・リース/デレック・デイリー/ヤン・ラマース/トミー・バーン
[編集] 1983年
- マシン:セオドールN183・コスワース
- ドライバー:ロベルト・ゲレーロ/ジョニー・チェコット