スヴィェトラーナ級軽巡洋艦
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スヴィェトラーナ級巡洋艦(ロシア語:Крейсера класса «Светлана»クリイスィラー・チーパ・スヴィトラーナ)はロシア帝国で建造が始められた軽巡洋艦のシリーズのひとつ。しかし、帝政時代には完成せず、ソ連海軍で使用された。
「スヴィェトラーナ」は現在も人気のある一般的な女性の名前であるが、ロシア圏の人名が基本的にすべてそうであるように、これもやはりロシア正教の聖人の名前である。日常的には「スヴィェータ」(Света) などと呼ばれる。聖スヴィェトラーナは別名フォティーナ(Фотина)とも呼ばれるが、これはもとのギリシャ語名Photineから来ている。スヴィェトラーナはそのスラヴ語訳で、この場合「свет」は「光」を意味する。聖フォティーナは、ローマ帝国皇帝ネロの迫害を受けて殉教した聖女である。なお、この名前はスラヴ圏に広く見られる名前であるが、「スヴィェトラーナ」(Светлана)はロシア語名であり、言語によって「スヴェトラーナ」、「スヴィトラーナ」などとなる。
なお、日露戦争時にも日本海海戦に参加した同名の艦艇があったが、このページで扱うのはそれとは別物。スヴィェトラーナの名前は幾度となくロシア艦船の艦名に採用されている。
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[編集] 概要
スヴィェトラーナ級軽巡洋艦は、1912年から1916年にかけて造船の強化の一環で発注された。これらは、偵察任務と海軍歩兵部隊との共同任務に用いられることが予定されていた。計画の立案に際しては、スィェヴァストーポリ級戦艦などとの外観の一致に注意が向けられた。
計画には、建設契約締結後になって間断なく変更が加えられた。主なものとしては、タンクの形状に揺れを制御するスタビライザーが加えられ、また水上機2機も搭載するようになった。
スヴィェトラーナ級軽巡洋艦は、良好な航海性能と強力な火器兵装を有していた。しかしながら、第一次世界大戦開戦後、イギリスに注文していた装置と物資の調達の混乱のためで建設は長引き、1917年末まで完成しなかった。
ロシア革命とそれに続く国内戦によってソヴィエト政府の国家の経済体制は大きく損なわれたが、それに加えてソヴィエト政府の指導者の何人かが海軍を嫌っていたことは、内戦で打撃を受けた艦隊の復興へマイナスの影響を及ぼした。建造されていた8隻のスヴィェトラーナ級軽巡洋艦の内、改設計されたクラースヌィイ・カフカース(アドミラール・ラーザリェフから改称)を除いてはわずか2隻だけが戦列に加えられることが決定された。即ち、バルト艦隊へクラースヌィイ・クルィーム(スヴィェトラーナから改称)、黒海艦隊へチェルヴォーナ・ウクライィーナ(アドミラール・ナヒーモフから改称)という1隻ずつの配備である。クラースヌィイ・カフカースも黒海艦隊へ配属された。また、他にアドミラール・スピリドーノフとアドミラール・グリェーイクの2隻がディーゼル燃料のタンカーとして完成・配備された。残りの艦に関しては、結局のところ解体された。
完成した艦の内3隻は、ソ連海軍の一艦として第二次世界大戦まで実戦に使用された。しかしながら、アドミラール・スピリドーノフとチェルヴォーナ・ウクライィーナは戦没し、一番艦クラースヌィイ・クルィームのみが戦後まで生き残り、1958年まで使用された。
[編集] 要目
[編集] 同艦型
※()内は建造当初の艦名
- クラースヌィイ・クルィーム(スヴィェトラーナ)
- アドミラール・ブタコーフ
- アドミラール・スピリドーノフ
- アドミラール・グリェーイク
- チェルヴォーナ・ウクライィーナ(アドミラール・ナヒーモフ)
- クラースヌィイ・カフカース(アドミラール・ラーザリェフ)
- アドミラール・イストーミン
- アドミラール・コルニーロフ
[編集] 関連事項
[編集] 外部リンク
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