スカイラブ計画
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スカイラブ計画(スカイラブけいかく、計画番号SA-513、SA-206、SA-207、SA-208)は、アポロ計画に用いられたサターンV型ロケットとサターンIB型ロケットを利用した宇宙ステーション計画である。スカイラブ1号からスカイラブ4号までが打ち上げられた。1号は無人で本体の打ち上げ、2号以降はアポロ計画と同じ司令船と機械船を使用した有人飛行である。
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[編集] スカイラブ概要
スカイラブ1号はサターンVロケットの3段目を改造して居住空間を作り、地球軌道上を周回する宇宙ステーションとして開発された。打ち上げは1973年5月14日。
スカイラブの構造は大まかに、(写真手前から)
- 第3段を改修して作られた軌道作業モジュール
- 中間部のエアロックモジュール
- 先端の多目的ドッキングモジュール
の3つからなり、多目的ドッキングモジュールには宇宙望遠鏡が取り付けられている。アポロ宇宙船は多目的ドッキングモジュールの先端(写真の向こう側)から月着陸船の時と同じ要領でドッキングし、スカイラブ内部へ乗り込む形になっている。また、本来であれば軌道作業モジュールの左右から太陽電池パネルを展開する予定であったが、打ち上げ時に予想外の空気抵抗が発生したことにより、片側の太陽電池パネルと隕石防護パネル、熱遮蔽シールドが脱落するトラブルが発生。そのためにスカイラブ2号到着時点でモジュール内の生存環境は十分整っておらず(到着時点での機内温度は50度以上)、船外活動による機体補修後に運用を開始している。軌道作業モジュールの四角い熱遮蔽シートは、補修の際に取り付けられたものである。補修はその後のミッションでも行われている。
スカイラブ2号以降は宇宙ステーションであるスカイラブ1号への往復船で、アポロ計画の司令船と機械船を転用した。それぞれ3名が搭乗した宇宙船がサターンIB型ロケットで打ち上げられ、スカイラブ1号へドッキングする仕組みであった。滞在後は帰還のために乗員が再び司令船に乗り移り、切り離された。ミッション内容としては地球や太陽の観測、無重力空間における生理現象の研究、無重力下での半導体や金属結晶生成、生物や微生物の行動観察といった科学的実験などが行われ、中でも太陽活動の観測と「宇宙グモ」は有名である。
スカイラブはその後スペースシャトル計画へ引き継がれる予定であった。当初の計画では、1979年後半までにシャトルを使ってスカイラブへブースターユニットを取り付けてスカイラブの高度を上げ、その後にシャトルがドッキングして運用段階へ移行する予定であった。しかし、70年代後半から太陽活動が活発化して地球の大気が膨張したために、スカイラブは濃くなった大気にまともに突入する形となり、周回速度と軌道降下が予定よりも早くなっていった。さらにシャトルの実用化が遅れたためにブースターユニットを取り付けることもできず、その結果としてアメリカ本土に落下する恐れが出てきた。そのため軌道修正をして大西洋に落下させようとしたが失敗、1979年7月に破片の一部がオーストラリア本土に落下した。だが、幸いなことに人的被害はなかった。
[編集] 飛行記録
- スカイラブ1号 -- 1973年5月14日打ち上げ。無人の宇宙ステーション本体。
- スカイラブ2号 -- 1973年5月25日打ち上げ。乗員は28日間宇宙に滞在した。
- スカイラブ3号 -- 1973年7月28日打ち上げ。59日間の宇宙滞在。
- スカイラブ4号 -- 1973年11月16日打ち上げ。84日間の宇宙滞在。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- The Skylab Project
- U-DON'S FACTORY