ジェネラル・シャーマン号事件
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ジェネラル・シャーマン号事件とは、1866年9月[1]に朝鮮で起こった事件。
アメリカ海軍の砲艇[要出典][2]を転用したイギリスのメドウズ商会のジェネラル・シャーマン号が通商を求め大同江に侵入、朝鮮の退去要求を無視し平壌を目指して遡行し続けたので、平安道の地方長官である平安監司の指揮のもと、干潮の為動けなくなった同船を攻撃し焼き討ち、ジェネラル・シャーマン号の乗組員約20名(うち13人が中国人、3人がマレー人)は全員殺害された。
1871年、この事件への謝罪を要求してアメリカ合衆国の軍艦5隻が来航したが、江華島で撃退された(辛未洋擾)。
[編集] 関連項目
[編集] 註と外部リンク
- History of United States Naval Operations: Korea (Author James A. Field, Jr.) DEPARTMENT OF THE NAVY NAVAL HISTORICAL CENTER.
- 米国海軍歴史センター ジェネラル・シャーマン号の写真と簡単な説明がある
- USS General Sherman Incident
- 当時の写真
- ↑ 高宗実録3年 7月 27日 (癸未)
- 平安監司朴珪壽狀啓。 平壤府所泊異樣船。 益肆猖狂。 轟砲放銃。 殺害我人。 其所制勝之策。 莫先於火攻。一齊放火。 延燒彼船。 彼人崔蘭軒趙淩奉。 跳出船頭。 始請救生。 卽爲擒捉。 縳致岸上矣。 軍民憤忿。 齊會打殺。 其餘殲滅無遺。全城騷擾。 始可鎭定。 兼中軍鐵山府使白樂淵。 平壤庶尹申泰鼎。 親冒銃砲。 心力俱殫。 畢竟勦滅。 可歸全功。 施以襃賞之典。 恐未知如何。當初異船之入境。 旣不能防捍。 至有副將拘執之辱。 終不免厮殺乃已。 有違聖明柔遠好生之德。 臣不勝惶恐待罪。 敎曰。 關西一道。 箕聖故都。服襲八條。 忠義相勉。 朝家之視他有別久矣。 今其西洋醜類。 闖入浿江。 拘執副將。 殺害民人。 小竪跳踉。 本不足血刃。 蓋其稔惡旣久。自干天誅者也。 方伯守宰之整頓紀律。 臨機制勝。 已有全功。 而軍校吏民之爭先勇赴。 殪殄無遺。 忠憤所激。 氣義可尙。 平安監司朴珪壽。特爲加資。 兼中軍鐵山府使白樂淵加資。 許用營將履歷。 平壤庶尹申泰鼎。 限一瓜久任。 道伯與中軍庶尹。 仍施璽書表裏之典。前中軍李玄益雖己責備。 不無奔走之勞。 許用邊地履歷。 其餘校吏。 自本營從厚施賞。 公穀會減道臣勿待罪。
- ↑ 韓国の歴史書などには武装商船と記載される場合が多い。GUNBOATの翻訳と思われる。外部リンク参照。米国国防省の記載ではmerchantmanとの記載である。なお北朝鮮系の報道機関 朝鮮新報によれば「1866年、悪名高い米国のジェネラル・シャーマン号が、大同江を遡り、平壌にやって来て、略奪・強盗など勝手に振る舞い、朝鮮官民の怒りを買い、火攻めにあって全滅した。」と記載している。いくつかのサイトには
- 『USS Princess Royal号を改造し、General Sherman 号という商船にした。』