ジェットブルー航空
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ジェットブルー航空 | ||
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IATA B6 |
ICAO JBU |
コールサイン JetBlue |
設立日 | 1998年 | |
ハブ空港 | ジョン・F・ケネディ国際空港 | |
焦点都市 / 準ハブ空港 |
ボストン・ローガン国際空港 フォートローダーデール・ハリウッド国際空港 ロングビーチ空港 オークランド国際空港 ワシントン・ダレス国際空港 |
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マイレージサービス | trueBlue Flight Gratitude | |
保有機材数 | 113 [1] | |
目的地 | 50 [2] | |
親会社 | JetBlue Airways Corporation | |
本拠地 | ニューヨーク | |
代表者 | David Neeleman(CEO) David Barger(社長兼COO) John Harvey(CFO) |
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ウエブ: http://www.jetblue.com/ |
ジェットブルー航空(-こうくう、英:JetBlue Airways)はアメリカの低料金を売りとするLCCである。運賃の安さに加えて、後半席のシートピッチの拡張やシートのグレードの向上などの点を特長としている。
目次 |
[編集] 概説
設立は1999年7月。2000年2月11日、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港~フロリダ州フォートローダデール間に就航している。
ニューヨーク市への国内線はラガーディア空港に発着することが多いが、空港アクセスの道路混雑や発着便の多さによるスケジュールの遅延を避けるため、ジェットブルーは創業からジョン・F・ケネディ国際空港の第6ターミナルをほとんどのフライトの拠点としている。
2001年8月には、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港を選定したのと同じ理由でロサンゼルス国際空港を避け、より小さな空港であるロサンジェルス近郊のロングビーチ空港を西海岸の拠点空港として選定し運行を始めた。
2004年にはボストンのローガン国際空港とフロリダを結ぶ路線の運行を開始した。さらにアメリカ国内のみでなくプエルトリコやドミニカ共和国への運行も始めている。
ジェットブルーは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ以降の航空業界不振の中で利益を得ている数少ない航空会社の一つである。デルタ航空のSong(現在はデルタ航空に統合)、ユナイテッド航空のTedなど、米国の大手航空会社はジェットブルーの成功に刺激され同様のビジネスモデルの競合子会社を設立する動きを見せている。専門家には、ジェットブルーの低コストで高い生産性により優位は続くと評価されている。
ジェットブルーには労働組合はないが、パイロットと経営陣は定期的に対話の機会を設けている。
本社は以前はニューヨーク・クイーンズ地区にあるKew Gardensにあったが、2002年にForest Hillsに引っ越した。また、コネチカット州Darien、ユタ州コットンウッド・ハイトにも事務所がある。
[編集] 経営者
CEOのデビッド・ニールマン(David Neeleman)はユタ州出身。ユタ州立大学を中退後、ブラジルにいたことがある。1984年、地元ユタ州でMorris Airという航空会社を立ち上げエアラインビジネスに参入。1993年に130万ドルでサウスウエスト航空に売却し、その際にサウスウエスト航空に参画したが、サウスウエスト航空社内の会議漬けの日々に嫌気が差し退職を決意。退職時、サウスウエスト航空の創業者でありCEOであったHerb Kelleherに5年間の競合禁止条項を約束させられた。その後Davidは電子チケットシステムのOpen Skies(1999年にヒューレット・パッカードに売却)を立ち上げたり、カナダのLCCの代表格であるウエストジェット航空の立ち上げに参画したりした。現在はコネチカット州New Cannanに在住。
David、CFOのJohn Owenや創業当初の人事役員であったAnn Rhoadesらは元サウスウエスト航空出身である。サウスウエストの低価格運賃かつフレンドリーな機内サービスなどの優れたオペレーション方針を受け継ぎつつも、42chの機内ライブテレビ、全革張りのシートなどアメニティーの充実に力を入れている。Davidはジェットブルーが「New Air」と呼ばれている創業前から「飛行機での旅行に人間性をもたらします。」と明言していた。
[編集] 保有機材
ジェットブルーの使用機種はエアバスA320[3]とブラジルのエンブラエル190[4]である。
[編集] 事故
2005年9月21日午後6時19分頃(太平洋標準時)、カリフォルニア州バーバンク発ニューヨーク・ラガーディア空港行き292便(エアバスA320型機、乗員乗客146名)が離陸直後に前輪に問題が発生し、ロサンゼルス国際空港に緊急着陸した。292便は午後3時17分にバーバンクを離陸したが、直後に前輪の収納ができなくなった旨を知らせる警告灯が点灯した。同機は燃料タンク内の燃料を消費し、着陸時の重量を減らすとともに着陸後の火災に備え3時間ほど旋回飛行を行った後、午後6時19分頃カリフォルニア州ロサンゼルス国際空港に緊急着陸した。乗員6名、乗客140名、計146名に怪我はなかった。
同機が異常を認識してから直ちに着陸を行わなかったのは、A320型機には燃料を投棄する装置が装着されていなかったためである。というのは、A320に限らず多くの小型機・中型機の場合、燃料を満載した状態であっても機体の総重量が最大着陸重量を超えないので、燃料を投棄しなければ着陸不可能という事態がはじめから考えられないからである。292便の場合は問題が起こったのが着陸装置であったために、それが直ちに飛行自体に切迫した危険性をもたらしていたわけではなく、むしろ接地した後安全に停止できるかどうかが分からないという状態であったため、敢えて旋回飛行を行ったのである。
その後、ロサンゼルス国際空港に緊急着陸のためのアプローチ中に、292便の姿を視認した管制管から「出ていないわけではないが、前輪は真横を向いたままの状態で固定されてしまっている」(A320型機は、正常な場合でも、前輪を収納する際いったん真横を向いてから機体に収納されるのだが、その収納段階の途中で異常が発生してしまった)旨を伝えられた機長は、後部車輪による接地後、通常であれば直ちに行う前輪の接地をぎりぎりまで遅らせ、少しでも前輪が滑走する時間を短縮する着陸操作を執った。接地したのち前輪は破損し炎上したものの、前輪を支える脚部が折れることはなく機体の前部を支えたまま滑走し、機体に大きな損傷はなかった。292便は滑走路を2,000mほど滑走して停止した。
異常の発生から着陸までに時間があったこともあり、主要なテレビ局は、この着陸の模様を生中継していた。事故にあった航空機はテレビの衛星放送を受信可能であり、乗客は各座席にて緊急事態の発生後のニュースをリアルタイムで見ることができた。
[編集] 就航都市
[編集] 国際線
[編集] バハマ
[編集] ドミニカ共和国
- センティアゴ
[編集] アメリカ国内およびアメリカ領内
[編集] アリゾナ州
[編集] カリフォルニア州
[編集] コロラド州
[編集] フロリダ
- フォートローダーデール
- フォートマイヤーズ
- オーランド
- タンパ
- ウェストパームビーチ
[編集] ルイジアナ州
[編集] マサチューセッツ州
[編集] ネバダ州
[編集] ニュージャージー州
[編集] ニューヨーク州
[編集] オレゴン州
[編集] プエルトリコ
- アグアディーヤ
- ポンセ
- サンフアン
[編集] ユタ州
[編集] バーモント州
[編集] バージニア州
[編集] ワシントン州
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ジェットブルー航空 (英語)
- ジェットブルー航空(プレスルーム) (英語)
- LiveTV(ジェットブルーの子会社) (英語)
- 「JetBlue Skies Ahead」(イェール・エコノミック・レビュー) (英語)
- 「ジェットブルー社の光と影」(日航財団レポート) (日本語)
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