ザテトラーク
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性別 | 牡 |
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毛色 | 芦毛(ベンドア班) |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1911年4月22日 |
死没 | 1935年8月8日 |
父 | ロアエロド |
母 | ヴァーレン |
生産 | エドワード・ケネディ |
生国 | アイルランド |
馬主 | ダーマット・マッカルモント |
調教師 | H・S・アティ・パース |
競走成績 | 7戦7勝 |
獲得賞金 | 11,336ポンド |
ザテトラーク(The Tetrarch)は、アイルランドの競走馬。奇妙な斑点模様を持つことで知られている。抜群のスピードを武器に短距離では無敵の強さを誇り、種牡馬としても成功した。
目次 |
[編集] 出自
父ロアエロドはエドワード・ケネディがイギリスで殆ど消え去ったヘロド系を復興するためにフランスから輸入した馬である。現役時代は主にフランスで走り、イギリスに遠征した際ドンカスターカップで2着に入ったことがきっかけで購入された。
その初年度産駒として生まれたザテトラークはアティ・パース調教師に買われローマ帝国の四分統治を意味するザテトラークと名付けられた。
[編集] 戦績
馬体はみすぼらしく見えたが調教では抜群のスピードを見せ、2歳の4月にニューマーケットでデビューした。初戦を4馬身差で楽勝すると、ウッドコートステークスでも直線だけの競馬で快勝した。3戦目のコヴェントリーステークスではスタートから引き離し、全く勝負にならなかった。公式記録では10馬身だが、実際には数十馬身離れていたとも伝えられている。ナショナルブリーダーズステークスでは大きく出遅れ、なんとかカランドリアをクビ差振り切ったところがゴールで、これが生涯唯一の辛勝である。ラウスメモリアルステークスでは翌年のエプソムオークス馬プリンセスドリーに6馬身、チャンピオンBフォールステークスでは4馬身差で楽勝した。シャンペンステークスも3馬身差で勝ち、2歳戦のみの7戦全勝の成績を残し引退した。
[編集] 種牡馬成績
引退後は種牡馬となったが牝馬嫌いで生涯130頭の子供しか残せなかった。それでも産駒が257勝をあげ、1919年にはイギリスリーディングサイアーを獲得している。代表産駒は2000ギニー勝ち馬テトラテマ、快速牝馬ムムタズマハルである。他にセントレジャーステークス勝ち馬を3頭輩出した。直系子孫は先細りで現在は殆ど残っていないが、ムムタズマハルの孫ナスルーラを通じサラブレッドに少なからず影響を与えた。また、テトラテマの産駒セフトは戦前の日本に輸入されトキノミノル等多くの活躍馬を出し成功した。
[編集] 毛色
ザテトラークは芦毛の馬体に大きな黒い斑点模様のついた奇妙な毛色をしており、馬体も貧弱だったためみすぼらしい馬と嘲笑を浴びることもあった。この奇妙な毛色は7代父のパンタルーンや母の祖父であるベンドアにも現れており何らかの遺伝子が作用したと考えられている。ザテトラークの代表産駒の一頭であるムムタズマハルにもこの特徴は受けつがれ。現在でも稀に発現することで知られている。
また、この時代には稀少であった芦毛を持ち、父ロアエロドと共に芦毛中興の祖となった。現在の芦毛馬の多くがこの父子を元にしている。
[編集] 血統表
ザテトラークの血統 (ヘロド系/Doncaster4×4=12.5% Rouge Rose4×4=12.5% Speculum4×4=12.5%) | |||
父
Roi Herode 1904 芦毛 |
Le Samaritan 1895 芦毛 |
Le Sancy | Atlantic |
Gem of Gems | |||
Clementina | Doncaster | ||
Clemence | |||
Roxelane 1894 栗毛 |
War Dance | Galliard | |
War Paint | |||
Rose of York | Speculum | ||
Rouge Rose | |||
母
Vahren 1897 栗毛 |
Bona Vista 1889 栗毛 |
Bend Or | Doncaster |
Rouge Rose | |||
Vista | Macaroni | ||
Verdure | |||
Castania 1889 栗毛 |
Hagioscope | Speculum | |
Sophia | |||
Rose Garden | Kigcraft | ||
Eglentyne F-No.2-o |
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