コルサコフ海戦
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コルサコフ海戦 | |
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戦争: 日露戦争 | |
年月日: 1905年8月20日 | |
場所: オホーツク、コルサコフ沖 | |
結果: 日本の勝利 | |
交戦勢力 | |
日本 | ロシア |
指揮官 | |
戦力 | |
巡洋艦2 | 巡洋艦1 |
損害 | |
損害なし | 座礁 |
コルサコフ海戦は大日本帝国海軍の巡洋艦千歳及び対馬とロシア海軍巡洋艦ノーウィックとの間で行われた海戦。宗谷沖海戦とも呼ばれる。
ノーウィックは先に行われた黄海海戦に参加した艦の1隻であったが旅順港に戻ることができず、ウラジオストックへ向かう途中でコルサコフ沖に停泊していた。それを発見した帝国海軍の巡洋艦と戦いとなった。開戦後直ちに帝国海軍の砲が命中し、ノーウィックは快速を生かすまもなく座礁した。乗員は艦を捨てて脱出し、ウラジオストックへと向かった。
この戦いは戦争の趨勢を決めるものではなかったが、ロシア海軍の貴重な戦力を減らすことに貢献した。また、通商破壊の脅威を減らしたということもできるであろう。この戦いの後、ノーウィックは浮揚、修理され日本海軍に編入、鈴谷となった。
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