ケイン・コスギ
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ケイン・コスギ(Kane Takeshi Kosugi、1974年10月11日 - )は、アメリカ合衆国ロサンゼルス出身の日系アメリカ人俳優、タレント。日本名は小杉健(こすぎたけし)。ロサンゼルスのマラナサ・ハイスクール卒業。国籍はアメリカ合衆国。サンミュージック所属
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[編集] 人物
父はハリウッドのアクション俳優、ショー・コスギ。母親は中国人で、英語・日本語・中国語を習得。弟は同じ『筋肉番付』などにも出場していたシェイン・コスギ。また1歳半から父親に空手を教えられるなどしてスポーツに親しみ、柔道、剣道、器械体操、アメリカンフットボール、バスケットボール、テコンドーなどスポーツ万能。また幼い頃は父のショー・コスギによるとケンカすればよく、尻を叩かれたらしい。
1982年、6歳で父の主演する映画「ニンジャII・修羅の章」(REVENGE OF THE NINJA)に出演し、芸能界にデビュー。
ハイスクール卒業後の1993年に来日し、父の母国日本で芸能活動を始める。「忍者戦隊カクレンジャー」のニンジャブラック・ジライヤ役や「ウルトラマンパワード」のウルトラマンパワード /ケンイチ・カイ隊員役など、さまざまな特撮番組に出演。またTBS系のスポーツバラエティ番組「筋肉番付」では、プロスポーツ選手や一流のアスリートに勝るとも劣らない身体能力を示し、スポーツマンNo.1決定戦のモンスターBOXで22段を飛び、世界第2位の記録を保持し、好評を博す。
ゲーム「ストリートファイター」のファンであり、OVAストリートファイターZEROではリュウ役として声の出演をしている。
2002年、映画「マッスルヒート」に主演。
[編集] 逸話
- 日本に来たばかりのとき、知っている日本語は「元気ですか?」だけであり、喫茶店のアルバイトで出前の際道に迷って、交番で「元気ですか?」しか言えなかったらしい。
- 父ショー・コスギはハリウッドで、東洋人としてはハイクラスの地位を築いており、幼少のケインも何不自由なく育って来たため、初めて日本に来たとき、借りたアパートの部屋が6畳一間で、部屋全体を全部「玄関」だと思い「狭いなあ」と思ったという。
- 日本に来ても特にやることがなかったため、秋葉原駅前広場(2001年07月31日に閉鎖)でバスケットボールをしていたところ、たまたまサモ・ハン・キンポーの息子がいて知り合いになり芸能界への道が開けたと語っている。
- 2002年に事務所独立の際のトラブルにより父親のショー・コスギに勘当された。むしろ、父は息子が事務所独立しなくても良かったと思っていたであろう。しかし、ケイン自身が独立の際にトラブルを起こし、父に対して反抗的な態度を取った事が裏目に出て、父が激怒して勘当をされたと思われる。現在でもショーとケインのファンの間では賛否両論の声が相次いでいる。
[編集] 主な出演作品
[編集] テレビ
- 琉球の風
- 忍者戦隊カクレンジャー(1994年-1995年、東映)ニンジャブラック・ジライヤ役
- 筋肉番付
- 聖龍伝説
- 金田一少年の事件簿(1996年、墓場島殺人事件)岩野渉役
- はぐれ刑事純情派
- 英語であそぼ(1998年)
- ポンキッキーズ(1999~2001年)
- からだであそぼ(2004年~)
[編集] 映画
- ニンジャII・修羅の章
- 兜 KABUTO (1991年)
- 格闘王
- 格闘王2
- キャッツ・アイ (1997年)
- Who Am I?(「我是谁?」)
- マッスルヒート(2002年)
- ゴジラ FINAL WARS(2004年)
- DEAD OR ALIVE(2006年)
[編集] ビデオ
- ウルトラマンパワード(1993年)ウルトラマンパワード /ケンイチ・カイ隊員役
- 超力戦隊オーレンジャー オーレ VS カクレンジャー(1996年、東映)ニンジャブラック・ジライヤ役
[編集] DVD
- 超力戦隊オーレンジャー オーレ VS カクレンジャー(2001年、東映)※DVDメディアでビデオ作品を再販