カズ・ハヤシ
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カズ・ハヤシ | |
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プロフィール | |
リングネーム | カズ・ハヤシ 獅龍 エル・ボスケ 884%マシーン |
本名 | 林和広 |
ニックネーム | 男の中の色男 |
身長 | 173cm |
体重 | 83kg |
誕生日 | 1973年5月18日 |
出身地 | 東京都世田谷区 |
所属 | 全日本プロレス |
スポーツ歴 | サッカー |
トレーナー | グラン浜田 |
デビュー | 1992年 |
カズ・ハヤシ(本名:林 和広、1973年5月18日 - )は、全日本プロレスに所属しているジュニア・ヘビー級のプロレスラーである。東京都世田谷区出身。
目次 |
[編集] 経歴
- 12月、ユニバーサル・プロレスリングに入門。
- 8月にSATO(現:ディック東郷)とテリーボーイとで平成海援隊を結成。
- 海援隊★DXでWCWに参戦。一時帰国した海援隊から離れ単身メキシコへ。その後、ファンの間では消息不明説が流れる。しかし週刊誌の記事にて「元みちプロ、獅龍はメキシコにいた!」と2ページを飾ってしまった。
- 2月23日のサクラメソト大会で1度敗れたウルティモ・ドラゴンと再戦するため覆面を脱ぎ、カズ・ハヤシに改名した。6月新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアには獅龍の名前でエントリーされていたが、改めてマスクを脱ぎカズ・ハヤシとして参加した。同年7月にWCWと3年契約を結ぶ。
- ジミー・ヤン、ジェイミー・サンと共にヤング・ドラゴンズを結成しレギュラーポジションを獲得する。WCW最後のマンデー・ナイトロ生中継にも日本人としてただ一人出場している。WCW崩壊後、WWFが選んだ24人の契約選手に残るも、
- 12月、小島聡と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦を制覇。ジュニア選手として、同リーグ戦を初めて制覇する快挙を成し遂げる。この時の公式戦で武藤敬司&嵐組に苦戦しながら、カズが嵐からフォールを奪った際の小島の発言「カズ、ありがとう。お前は男だ、男の中の色男だ。」から、男の中の色男がキャッチフレーズとなる。
- 2月22日、BLUE-K(TAKAみちのく)との王座決定戦に勝利し世界ジュニア王座を獲得。ハッスルにも、レオナルド・スパンキー、ジミー・ヤンらとタッグを組み参戦。
[編集] 獲得タイトル歴
- 全日本プロレス
- 世界ジュニアヘビー級王座…第21代
- 世界タッグ王座
- 第49代…パートナーは小島聡。
- アジアタッグ王座
- 第75代…獅龍として、パートナーはグレート・コスケ(小島聡)。
- KAIENTAI-DOJO
- 年間最高試合賞(シングルマッチ部門)…2004年
- その他
- 中央アメリカミドル級王座
- NWA インターナショナルライトヘビー級タッグ王座
- パートナー はスパンキー。
[編集] 得意技
- ファイナルカット
- ライオンサルト
- クランチループ
- WA4
[編集] リングネーム
- カズ・ハヤシ
- 獅龍
- エル・ボスケ(プロモ・アステカで使用)
- 884%マシーン
[編集] エピソード
- カズ・ハヤシと獅龍が同一人物であることは明白だが、本人は「獅龍なんて知らない」と言い張っている。
- 獅龍時代のマスクは全て自作である。
- 獅龍時代、1996年3月に平成海援隊から海援隊★DXに改名する際、SATOはディック東郷に、テリーボーイはMEN'Sテイオーにそれぞれ改名することになり、自身も東京GIN(当時流行っていた森高千里の曲「GIN GIN ジングルベル」に便乗して、また自身が東京出身であることから)に改名するはずだったが、ファンからの反対意見が殺到した為、所属していたみちプロに止められ断念した。
- カズはWCW崩壊後、WWFと契約したものの結局一度も出場できなかった。この理由としては、WWF幹部がカズの起用法に困っており、当時WWFで活躍中だったタジリとキャラが被ることが原因だと言われている。なお、カズもタジリもファイトスタイルのモチーフはグレート・ムタである。
- WWFの下部団体だったHWAにいた頃、飲酒運転でクビになる直前のエディ・ゲレロやジャマール、ロージー、ディーロ・ブラウン、チャーリー・ハースなどと一緒だったという。
- ヴィジュアル系バンド、Laputaのファンで入場曲や技名にも取り入れられている。
- 2006年にブログにて結婚を発表した。
- マイクアピールは上手くない、下手である(解説者席の武藤敬司から「止めとけ」と言われた)。
[編集] 外部リンク
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