ウィスコンシン (戦艦)
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艦歴 | ||||||||||||||||||||||||||
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起工 | 1941年1月25日 | |||||||||||||||||||||||||
進水 | 1943年12月7日 | |||||||||||||||||||||||||
就役 | 1944年4月16日 | |||||||||||||||||||||||||
退役 | 1991年9月30日 | |||||||||||||||||||||||||
除籍 | 2006年3月17日 | |||||||||||||||||||||||||
その後 | 博物館として公開 | |||||||||||||||||||||||||
性能諸元 | ||||||||||||||||||||||||||
排水量 | 基準:45,000トン 満載: |
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全長 | 270m | |||||||||||||||||||||||||
全幅 | 33m | |||||||||||||||||||||||||
吃水 | 8.8m | |||||||||||||||||||||||||
最大速 | 33ノット | |||||||||||||||||||||||||
乗員 | 士官・兵員:1,921名 | |||||||||||||||||||||||||
兵装 |
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ウィスコンシン (USS Wisconsin, BB-64) はアメリカ海軍の戦艦。アイオワ級戦艦の4番艦。艦名はウィスコンシン州に因んで命名された。その名を持つ艦としては二隻目。現在はバージニア州ノーフォークのナショナル・マリタイム・センターで記念艦として保存。
ウィスコンシンは1941年1月25日にフィラデルフィア海軍造船所で起工し、1943年12月7日にウォルター・S・グッドランド夫人によって命名、進水し、1944年4月16日にアール・E・ストーン艦長の指揮下就役した。
ウィスコンシンは艦種分類番号がBB-64であったが、BB-63のミズーリよりも先に完成した。
目次 |
[編集] 艦歴
[編集] 第二次世界大戦
チェサピーク湾での公試および慣熟訓練後、ウィスコンシンはノーフォークを1944年7月7日に出港、英領西インド諸島に向かう。トリニダードでの整調航海後フィラデルフィアに帰還し補修を行った。
1944年9月24日にウィスコンシンは西海岸へ出航、パナマ運河を通過し10月2日に太平洋艦隊に合流する。その後訓練演習のためハワイ水域に移り、続いて西カロリン諸島に向かう。12月9日にウルシー泊地に到着し、ウィリアム・ハルゼー提督指揮下の第三艦隊に加わる。
ウィスコンシンはフィリピン攻略戦のさなかに到着する。司令部はルソン島南方、ミンドロの南西海岸上陸を計画し、その時点からアメリカ軍は南シナ海を通過して日本の大洋航路に脅威を与えることができた。
続いて行われるミンドロ進攻に備えて、第三艦隊所属の第38高速空母機動部隊は日本軍の抵抗を弱めるためマニラに空襲を行い、ウィスコンシンは空母部隊の護衛に割り当てられた。
その後ハルゼー艦隊は台風に遭遇する。猛烈な台風は艦隊を直撃し、多くの艦が燃料補給とバラストの搭載を必要とした。三隻の駆逐艦ハル(USS Hull, DD-350)、モナハン(USS Monaghan, DD-354)、スペンス(USS Spence, DD-512)が転覆、沈没したが、ウィスコンシンは無傷で台風を回避し、その耐航性を証明した。
ウィスコンシンは続いてルソン島占領に参加する。アメリカ軍上陸部隊は南部海岸を回避して、三年前に日本軍が上陸したリンガエン湾に上陸を始めた。
重対空砲火を備えたウィスコンシンは台湾、ルソン島、南西諸島への空襲を行う第38機動部隊の空母護衛と、リンガエン湾攻撃支援の砲撃を行った。1945年1月3日から22日まで行われたこれらの攻撃は、日本軍主力部隊への打撃になると考えられた。
ウィスコンシンが護衛する空母部隊はサイゴンとカムラン湾への攻撃を開始した。1月12日の攻撃で第38機動部隊の艦載機は41隻の敵艦を沈め、乾ドックや貯蔵庫を破壊した。台湾は1月3日、4日すでに攻撃を受けていたが、9日、15日、21日に再び攻撃を受ける。1月を通してウィスコンシンは空母の護衛を行い、艦載機部隊は香港の海軍補給地、海南島、広東の精油所および沖縄を攻撃した。
レイモンド・A・スプルーアンス提督が艦隊司令官としてハルゼー提督と交代し、ウィスコンシンは第五艦隊に配属となる。第58機動部隊の空母は東京への攻撃に向かい、それと共に北方へ移動した。1945年2月16日に機動部隊は悪天候に紛れて本州沿岸に接近し、奇襲に成功する。その結果ウィスコンシンおよび僚艦は敵機322機を撃墜し、地上でさらに177機を破壊した。また軍艦艇及び一般艦艇も徹底的な攻撃を受けた。
ウィスコンシンと機動部隊は2月17日に硫黄島に移動し、19日に上陸部隊の直接支援を行う。その後25日に関東沖を再び訪れ翌日八丈島を攻撃、地上施設に大きな打撃を与える。艦載機部隊は5隻の小型艦艇を撃沈し、158機の敵機を破壊した。
ウィスコンシンと機動部隊は3月14日にウルシー泊地を出航する。部隊の任務は沖縄沖のアメリカ艦隊に対する日本本土からの航空攻撃の排除であった。呉および神戸から出航した日本艦隊は第58機動部隊の艦載機により攻撃された。3月18日、19日に九州南西160kmの水域で第58機動部隊は日本軍部隊と交戦する。19日の戦闘で不運にもアメリカ軍の対空砲火は特攻機の攻撃を防ぐことができず、フランクリン(USS Franklin, CV-13)が大きな被害を受ける。同日午後部隊は燃えさかるフランクリンを護衛しながら九州沖を撤退する。撤退の際に護衛部隊は48機の敵機を撃墜した。
ウィスコンシンは3月24日に沖縄に向けての主砲による艦砲射撃を行う。部隊の他の戦艦と共に、ウィスコンシンは上陸に備えて陸上の日本軍拠点を砲撃した。日本軍の抵抗は激烈であったが、多くの航空機と熟練パイロットを失い徐々に弱まっていった。
第58機動部隊は4月7日に戦艦大和と交戦する。艦載機部隊が大和とその護衛艦隊を攻撃している間、日本軍機はアメリカ軍艦艇への攻撃を行った。戦闘飛行偵察部隊は15機の敵機を撃墜し、艦艇からの対空射撃は3機を撃墜した。しかし一機の特攻機が防御をすり抜けハンコック(USS Hancock, CV-19)の飛行甲板に直撃した。4月11日に日本軍は再び特攻を行う。激しい対空砲火により特攻機を迎撃し、戦闘飛行偵察部隊は17機を撃墜、艦砲は12機を撃墜した。翌日151機の日本軍機が襲来したが、ウィスコンシンを始めとする護衛部隊の砲撃は空母への攻撃を寄せ付けず、艦へ達する直前にそれらを撃破した。しかしながら日本軍の攻撃はイントレピッド(USS Intrepid, CV-11)、バンカー・ヒル(USS Bunker Hill, CV-17)およびエンタープライズ(USS Enterprise, CV-6)に損害を与えた。
6月4日に艦隊は台風に遭遇する。ウィスコンシンは無傷で乗り切ったが、三隻の巡洋艦、二隻の空母と駆逐艦が深刻なダメージを受ける。攻撃作戦は6月8日に九州への空襲で再開された。日本軍の迎撃機による抵抗は散発的で、事実上無いに等しかった。29機が発見され破壊された。同日ウィスコンシンの水上機がシャングリラ(USS Shangri-La, CV-38)から発進、着水したパイロットを救助した。
ウィスコンシンは6月18日にレイテ湾に停泊し、修理と補給を受ける。三週間後の7月1日、随伴艦艇と共に日本本土攻撃の空母部隊護衛のために出航する。9日後第38機動部隊の空母艦載機は関東地区の工業施設と地上に駐機された日本軍機72機を撃破する。日本軍の抵抗はほとんど無くなり、ウィスコンシンおよび他の艦艇はその所在を隠そうとしようともしなかった。
7月16日にウィスコンシンは北海道室蘭市で製鉄所と精油所に艦砲射撃を行う。その2日後には茨城県日立市の工業施設に砲撃を行う。この砲撃にはイギリス海軍の戦艦も参加した。この時点でウィスコンシンを始めとする連合軍の戦艦は本州に対して効果的な艦砲射撃を繰り返した。
第38機動部隊の艦載機は横須賀海軍基地を攻撃し、停泊していた戦艦長門と他の艦艇二隻を破壊した。7月から8月にかけて艦載機部隊は日本本土攻撃を行い、最後の攻撃は終戦二日前の8月13日で東京に対するものであった。二日後の8月15日に日本はポツダム宣言を受諾し太平洋戦争は終結した。
ウィスコンシンは占領軍部隊の一部として9月6日に東京湾に入港した。ウィスコンシンは第二次世界大戦で105,831マイル(170,318km)の航海を行い、敵機三機を撃墜、四機を僚艦と共同で撃墜した。そして随伴駆逐艦に250回燃料を供給した。
[編集] 大戦後
ウィスコンシンは沖縄に移動した後、9月22日に帰国するGIを乗艦させる。マジック・カーペット作戦の一環として陸軍、海軍、海兵隊の兵士を乗せたウィスコンシンは9月23日に沖縄を出航。10月4日に真珠湾に到着し、5日間停泊した後西海岸に向かう。ウィスコンシンは10月15日にサンフランシスコに到着した。
1946年1月初めに東海岸に向けて出航、1月11日から13日にかけてパナマ運河を通過し、1月18日にバージニア州ハンプトン・ローズに到着する。続いてグアンタナモ湾に向かい、その後オーバーホールのためノーフォーク海軍造船所入りする。夏の数ヶ月を使って修理、改造を行い、その後ウィスコンシンは南アメリカ水域に向けて出航する。
ウィスコンシンは11月1日から6日までチリのバルパライソに停泊、9日から13日まではペルーのカラオ、16日から20日まではパナマのバルボア、22日から26日まではベネズエラのラグアイラを訪れた。12月2日にはノーフォークに帰還する。
ウィスコンシンは1947年を通じて練習艦として海軍予備役兵に対する二週間の訓練巡航を繰り返した。巡航はニュージャージー州ベイヨンからグアンタナモ湾を訪れ、パナマ運河を通過した。艦はベイヨン出航から様々な訓練演習を行った。6月から7月の間にウィスコンシンは海軍兵学校生を乗艦させ北ヨーロッパに巡航した。
1948年1月にウィスコンシンは不活性化を命じられ、7月1日に予備役となりノーフォークの大西洋予備役艦隊入りする。
[編集] 朝鮮戦争
- 1951年 - 3月3日 再就役、朝鮮戦争参加。11月第7艦隊旗艦。
- 1952年 - 3月15日 北朝鮮の清津地区を砲撃中、右舷一番砲塔付近の舷側に被弾。
- 1956年 - 5月6日 ノーフォーク沖で濃霧の中駆逐艦イートン (USS Eaton, DDE-510)と衝突、艦首部分を損傷。未成艦ケンタッキーから艦首部分を移植。
- 1958年 - 3月8日 退役。
[編集] 朝鮮戦争後
[編集] 再就役と湾岸戦争
[編集] 退役
1991年のソ連崩壊に伴いアメリカ合衆国に対する脅威は低下し、国防予算の徹底的な削減が行われることとなる。戦艦を運用する高額なコストは効果のない消費と考えられた。その結果、ウィスコンシンは1991年9月30日に退役する。1996年10月15日にノーフォーク海軍造船所に移動する。2000年12月7日にウィスコンシンはノーフォークから牽引され、ナショナル・マリタイム・センターに隣接して停泊した。ウィスコンシンの露天甲板は一般に公開されたが、艦は海軍によって所有され、予備役艦隊の一部であった。
ウィスコンシンは1996年の国防認可法によって維持される二隻の戦艦の内の一隻として指定された(もう一隻はアイオワ)。しかしながら、2006年の国防認可法は海軍長官によるアイオワとウィスコンシンの除籍を認め、両艦が博物館として寄贈されることが可能となった。アイオワとウィスコンシンは2006年3月17日に公式に除籍された。ウィスコンシンは除籍されたが現在も寄贈されずにある。アイオワとウィスコンシンを除籍する前に両艦を維持するコストが計算されたが、10ヶ月のプログラムで4億3,000万ドル、14ヶ月のプログラムで5億ドルを要すると算出された。
ウィスコンシンは第二次世界大戦の戦功で5つの、朝鮮戦争の戦功で一つの従軍星章を受章し、湾岸戦争の戦功で海軍部隊殊勲章を受章した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Unofficial US Navy Site
- Hampton Roads Naval Museum
- The Battleship Wisconsin Website
- Nauticus, The National Maritime Center Norfolk, VA
- Operation Desert Storm Timeline
- Maritimequest USS Wisconsin BB-64 Photo Gallery
- USS Wisconsin Photo Gallery and Facts
- USS Wisconsin Association
- WWII Battleship Site entry for USS Wisconsin
- cnn.com Losing the Battleships
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