アンノン族
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アンノン族(あんのんぞく)とは、1970年代中盤から1980年代にかけて流行した現象をあらわす言葉。ファッション雑誌やガイドブックを片手に一人旅や少人数で旅行する若い女性を指した。旅行の主役として女性客が重視される最初の契機となった現象。同時代の若人の旅行スタイルであるカニ族と共に、現在では死語となっている。
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[編集] 語源
1970年に創刊された若い女性向きの雑誌an・an(アンアン)と、1971年創刊のnon・no(ノンノ)は、多数のカラー写真による旅行特集を掲載した。美しい写真や記事に刺激され、これらのファッション雑誌を片手に持った多数の若い女性が特定の観光地に押しかけたので、アンノン族と命名された。
[編集] 背景
1960年代までの日本では若い女性が旅行することはごく少なかった。一般に観光地は、企業の慰安旅行の男性の団体旅行に対応した温泉、中高年の訪問者が主体の神社や寺院、若者のグループ旅行によるスキー、家族旅行の海水浴などが主体であった。しかし1970年に大阪で開催された万国博覧会で、日本にも個人による国内旅行が定着した。万博の後 当時の国鉄は引き続き個人旅行の需要を喚起するためにディスカバー・ジャパンキャンペーンを始めた。
[編集] アンノン族の誕生と影響
ファッション雑誌an・anやNon・noが対象とした読者層は入社5年目位の若いOL(18歳から25・26歳程度)だったが、実際に旅に出たのは大学生(女子大生)から若いOLの、18・19歳から20代の年頃の女性であった。国鉄のキャンペーンと同時進行的に始まったアンノン族現象は、従来の旅行と全く異なる旅行スタイルであった。国鉄も女性の旅行者を意識した旅行スタイルを重要視し、その雰囲気を伝える山口百恵のいい日旅立ち(1978年)をコマーシャルソングとして採用した。
[編集] 新しい旅先の発掘
各地のいわゆる小京都に代表される、落ち着いた静かな歴史を感じさせる町並み等、従来の観光地とは異なる洒落た場所に女性客が訪れるようになった。これにあやかるように小京都と呼ばれる観光地は、その後から地方に増え続けた。また旅行自体も名所旧跡を急いで巡るのではなく、各地の美味な食べ物(郷土料理や名産の菓子など)を食べ 旅先でのゆっくりした時間を楽しむ、いわゆる癒しをテーマにした旅の嚆矢であった。
[編集] 小規模な観光地へ旅行者が殺到
これらの雑誌は、上記のように従来型の大規模な観光地以外の場所を紹介することが多く、小規模な町が雑誌に掲載されると施設の収容能力を上回る女性客が押し寄せた。中山道の妻籠宿などの各宿場街の宿泊施設は民宿が主体であるが、訪れてきた大勢の女性客をなんとか宿泊させようと苦心し家族部屋まで開放することも多かった。
[編集] 女性客を対象とした街づくり
アンノン族によって女性が旅行の主体となった。以後 女性客を呼び込むことが観光地の発展に繋がることになった。そこで各観光地は女性客の好みに合うような街づくりを行った。現在人気の高い温泉、例えば由布院温泉などは早くから歓楽色を排除し、独自の静かな温泉街を形成している。なお 安易に女性を意識しメルヘン路線に走った観光地もあるが、現在は修正されつつある。
[編集] 現在
現在この世代は、実年世代〜熟年世代であり、子育てを終えてふたたび時間的に余裕のできた女性達である。旅行会社や、JR西日本などの鉄道会社はアンノン族であった女性達に国内観光を提案するキャンペーンを展開している。