アンナ・パヴロワ
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アンナ・(パヴロフナ・)パヴロワ(Anna Pavlovna Pavlova ロシア語:Анна Павловна Павлова, 1881年1月31日 - 1931年1月26日)は20世紀初頭のロシアのバレリーナ。
サンクトペテルブルクの貧しい農民の家庭に生まれ、帝室バレエ学校に学び18歳で卒業する。その後マリインスキー劇場に出演した。ロシア・バレエ団の草創期において一時期セルゲイ・ディアギレフに協力するが、その後に自前のバレエ団を作って世界中で活躍した。
ミハイル・フォーキンが彼女のために振付けた「瀕死の白鳥」の演目で有名。(曲は、サン=サーンスの〈白鳥〉(《動物の謝肉祭》より)を用いている。)
ツアー中にオランダのデン・ハーグで胸膜炎のために急死。遺体は近年、遺族によってモスクワのノヴォジェヴィチー墓地に改葬された。
パブロワというデザートは、彼女の名にちなんでいるが、由来については議論が多く、ニュージーランドとオーストラリアが発祥地をめぐって争っている。だが最も古い記録はニュージーランドで見つかっている。