プトレマイオス朝
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プトレマイオス朝は、古代エジプトのヘレニズム王朝(紀元前306年 - 紀元前30年)。アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の死後、部下であったプトレマイオス(マケドニア地方出身のギリシア人)が創始した。首都はアレクサンドリアに置かれ、アレクサンドリアは地中海世界屈指の大都市・ヘレニズム文化の中心として栄えた。
代々「プトレマイオス」と「クレオパトラ」という名前を持った王と女王が統治した。しかし、下の表で分かるように復位が相次いで行なわれている。というのもプトレマイオス朝は一族内での殺し合いが頻繁に行なわれていたためである。そして、それに介入したローマ軍により滅亡することになる。
エジプト王家の伝統を取り入れて血族結婚を繰り返したので、200年以上エジプトを支配しながらエジプト人の血が混じらず、ギリシア人の血脈を保った。
[編集] 歴代ファラオ
- プトレマイオス1世(前306年-前282年)
- プトレマイオス2世(前282年-前246年)
- プトレマイオス3世(前246年-前222年)
- プトレマイオス4世(前222年-前204年)
- プトレマイオス5世(前204年-前180年)
- プトレマイオス6世(前180年-前164年)復位(前163年-前145年)
- プトレマイオス7世(前164年-前163年)
- プトレマイオス8世(前145年-前116年)
- プトレマイオス9世(前116年-前107年)復位(前88年-前80年)
- プトレマイオス10世(前107年-前88年)
- プトレマイオス11世(前80年)
- プトレマイオス12世(前80年-前51年)
- クレオパトラ7世(前51年-前30年)
- プトレマイオス13世(前51年-前47年)
- プトレマイオス14世(前47年-前44年)
- プトレマイオス15世(前44年-前30年)