アルバロ・レコバ
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アルバロ・レコバ(Alvaro Alexandro Recoba Rivero、1976年3月17日 - )は、ウルグアイ、モンテビデオ出身同国代表、セリエA・インテル所属のサッカー選手。
攻撃面において驚異的なプレイを連発することからサッカーファン以外にもかなりの知名度がある選手。東アジア人のような顔立ちをしていることから、チーノ(el chino = 中国人)の愛称で呼ばれているが、本人はあまり気に入っていない様子である。背番号20が気に入っているようでクラブでもウルグアイ代表でも好んで着けている。試合前には母からもらったキリスト像に必ず祈りをささげてからピッチに出る。家族はロレーナ夫人と、娘ナタリー。179cm/79kg。
[編集] プレイスタイル
左足での高いボールコントロール能力を武器に、攻撃的なポジション(フォワード、トップ下、左のミッドフィールダー)を主な役割とする。
「左足の魔術師」とも称されるテクニックの持ち主であり、絶好調時のレコバはまさに神がかっている。スピード豊かでありながら細かなタッチのドリブルで密集するディフェンダーの隙間を縫うように突破し、レンジの広さと正確さを併せ持つ強力なシュートを予測しづらいタイミングで放ち、鋭く曲がって突き刺さるフリーキックも大きな武器。彼1人で攻撃の全てをこなす姿は1990年代後半~2000年代を代表するファンタジスタの1人と言えよう。
その能力の高さから複数のポジションをこなせる事と、強豪クラブに所属するゆえにポジション争いが非常に厳しい(ロナウド、ロベルト・バッジョ、イバン・サモラーノ、クリスチャン・ヴィエリ、エルナン・クレスポ、ガブリエル・バティストゥータ、モハメド・カロン、アドリアーノ、オバフェミ・マルティンス、フリオ・クルス、ズラタン・イブラヒモビッチなど)事から、不慣れなポジションでのプレイや控えプレイヤーとしての役割を強いられ本来の実力を発揮しきれないこともあったが、戦術とフィットした場合にはとてつもない攻撃力を見せる。反対に、代表チームにおいては絶対的なプレイヤーとして自由なプレイを保障され、本来の実力を発揮できる環境が与えられていたが、一時期代表から遠ざかっていた。しかし2005年のW杯南米予選最終戦のアルゼンチン戦でゴールをあげ、土壇場でウルグアイ代表をオーストラリア代表とのプレーオフに導いた。プレーオフでも第1戦で1-0の決勝ゴールをアシストし、2戦共にウルグアイ代表の中心として絶好調のプレイを披露したがチームはアウェイでのPK戦の末敗退。プレーオフ後の雑誌取材で彼は、「ウルグアイ代表がオーストラリア代表に劣っていたものがあるとすれば、PKの技術くらいだ。今後彼らと30回戦ってもPK戦なしなら勝つ自信がある。」と悔しさをあらわにした(なお、そのPK戦にレコバ自身は途中交代のため参加していない)。
[編集] 所属チーム
- ダヌービオ (1994-1995)
- ナシオナル・モンテビデオ (1996-1997)
- インテル(1997-1999)
- ACヴェネツィア (1999)
- インテル (1999-)
[編集] 外部リンク
インテル - 2006-2007 |
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