アニリン (競走馬)
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1961年 |
死没 | 1975年11月19日 |
父 | エレメント |
母 | アナロジクナヤ |
生産 | コンツァフォト・ヴォスホード |
生国 | ソビエト連邦 |
馬主 | コンツァフォト・ヴォスホード |
調教師 | й・デムキンスキー ニコライ・H・ナシボフ |
競走成績 | 28戦22勝 |
獲得賞金 | 738,835ドイツマルク(一部のみ) |
アニリン(Anilin、ロシア語表記はАнилйн)は、ソビエト連邦の競走馬。ソビエト競馬を代表する名馬で、アメリカやフランスへも遠征し、悪条件ながら好走した。父はソビエトダービー馬エレメント、母はソビエトオークス馬アナロジクナヤであり、生地は国立第33牧場。馬名は化学物質アニリンより。
ソビエトの他東ドイツやハンガリー等でも走り、2-4歳時にはカリニナ記念、ソビエトダービー、ソビエト社会主義共和国賞の三冠を達成した。特にソビエト社会主義共和国賞は4歳時と5歳時の連覇である。他にも社会主義国の国際レースである社会主義国家大賞×2回やドイツのオイロパ賞3連覇等活躍しソビエト史上最強馬とも言われている。
3-6歳時には毎年1レース西側諸国に遠征し3歳時にはアメリカのワシントンDCインターナショナルで3着、4歳時には凱旋門賞に挑戦しシーバードの5着、5歳時のワシントンDCインターナショナルでも2着と健闘した。
6歳で引退しソビエトで種牡馬となった。自身に匹敵するような産駒は出せなかったが、それでもソビエトのリーディングサイアーになっている。1975年事故により安楽死、14歳であった。
[編集] 競走成績
1963年(5戦3勝)
- М.И.カリニラ記念賞
1964年(8戦7勝)
- 社会主義国家大賞、ブカレスト賞、ロベルト・プフェルトメンゲスレネン、ボリショイ・フシエソユツニー賞(ダービー相当)、ゾテヒニコフ・コニエフォドフ記念賞、オックリティア賞、3着 - ワシントンDCインターナショナル
1965年(5戦4勝)
- オイロパ賞、ソヴィエト社会主義共和国賞、フスツォウピテルニー賞、5着―凱旋門賞
1966年(6戦5勝)
- オイロパ賞、ソヴィエト社会主義共和国賞、ペキン賞、社会主義国家大賞、2着 - ワシントンDCインターナショナル
1967年(4戦3勝)
- オイロパ賞、ブダペスト賞、シュタイナドラー・レネン
[編集] 種牡馬成績
ソビエト種牡馬チャンピオン - 1975,76,68年
[編集] 主な産駒
- エルファスト(ソヴィエト社会主義共和国賞、ブダペスト賞)
- レノク(ソヴィエト社会主義共和国賞)
- ガツォミオト(ボリショイ・フシエソユツニー賞、アニリン賞)
- エテン(ボリショイ・フシエソユツニー賞、アニリン賞)
- マグナット(エリータ賞)
- ラツゴン(ボリショイレトニー賞)
- ツェラ(コビル3レト大賞)
アニリンの血統 (セントサイモン系/Gainsborough5×4=9.38% Francja(Tagor)5×4=9.38%) | |||
父
Element 1952 鹿毛 |
Etalon Or 1936 栗毛 |
Massine 1920 |
Consols |
Mauri | |||
La Savoyarde | Filibert de Savoie | ||
La Balladeuse | |||
Margaritka 1944 鹿毛 |
Gainslaw | Winalot | |
Margaret Burr | |||
Macedonja | Mah Jong | ||
Cylicja | |||
母
Analogichnaya 1953 栗毛 |
Agregat 1943 鹿毛 |
Artist's Proof | Gainsborough |
Clear Evidence | |||
Abeba | Balbinus | ||
Az a Hired | |||
Giurza 1938 栗毛 |
Zator | Tagor | |
Ziya | |||
Gagara | Hetman Ney | ||
Gortenziya F-No.27-a |
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