アクセラ (企業)
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株式会社アクセラ(Axela)は、かつて2000年9月まで日本に存在した出版社。主にゲーム関連の雑誌や書籍を出版していた。1996年創立。2000年に倒産。
[編集] 歴史
そもそもこの会社ができた背景には、アスキーのお家騒動があったと言われている。1996年春にはアスキー創業者の西和彦の事業方針に反発した(一説には西個人の借金返済のためにアスキーから巨額の融資を行うのに反発したとも言われる)当時アスキー常務の小島文隆らがクーデターを画策。小島らはスクウェア(現スクウェア・エニックス)創業者の宮本雅史をスポンサーとして、アスキーからゲーム関連部門を分離した新会社を設立することを狙ったが、この試みは失敗に終わり、クーデターの首謀者だった小島らは退社を余儀なくされる。(余談だが、この「ゲーム関連部門を分離した新会社」というアイデアは後にエンターブレインの設立で現実のものとなる)
そのため小島らは、宮本やアスキー時代の仲間である塚本慶一郎(インプレス社長)、ダービースタリオンシリーズの販売で付き合いの深い薗部博之らの協力を得て1996年7月10日にアクセラを設立。小島が元々「週刊ファミ通」や「ログイン」の編集長だったことから、それらの編集部を中心にスカウトを進め、当時経営難に陥っていたアスキーの将来に不安を感じた社員が大量にアクセラに移籍する。それもあってか、同年10月には会社創立後初の雑誌として競馬情報誌「クリゲ」を創刊。12月にはそれまでアスキーから出版されていたベクターデザインのオンラインソフト集「PACK」シリーズを発売するなど、会社は順調な立ち上がりを見せる。
翌1997年3月には満を持して「週刊TV Gamer」を創刊。ライバルである「週刊ファミ通」がゲーム攻略情報を中心にコアなゲーマー層をターゲットとしていたのに対し、グラビアを多用したりテレビ番組表も掲載したりと、よりライトなゲームファンを読者層として想定した作りになっていたが、売れ行きは芳しくなく同年12月には早くも休刊に追い込まれる。
1998年の春にはデイリースポーツなどの協力を得て「ぐりぐり◎(ぐりぐりにじゅうまる)」を創刊、競馬新聞の世界に進出を試みる。同紙は当時としては画期的な「中央競馬開催全場の全レース(最大36レース)の馬柱を掲載」という新たな試みで話題になるが、創刊号から売れ行きは芳しくなく、その上、「想定段階の馬柱をそのまま枠順確定版として誤掲載したものを発行してしまう」という競馬新聞としては致命的なミスを犯し、創刊からわずか5号(約3週間)で廃刊に追い込まれた(※ちなみに、当時は競馬場・場外での全場全レースの馬券発売は行われておらず、すなわち、電話投票で馬券を購入する者をメインターゲットとしていたという、当時の他の競馬新聞とはかなり毛色の異なるものであった)。
これでケチがついた格好になったのか、以後ゲーム雑誌「ENTa」やネットワークRPG情報誌「月刊PlayOnline」(後にデジキューブに譲渡)を創刊したり、ゲームソフトでは「ガイブレイブ」や「マリア」などの制作・販売に進出するなど様々な展開を試みたが、結局殆どが市場に受け入れられなかったことから経営環境も好転せず、2000年10月に事実上の倒産、事業停止に追い込まれた。他にも1999年頃にはライトノベルのレーベルの創立を画策したが頓挫したとも言われている。