うたごえ運動
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うたごえ運動は1960年代に日本でピークを迎えた、合唱を中心とする社会運動である。合唱を団結の手段とするもので、労働歌・反戦歌および日本やソビエトの民謡をレパートリーとして、大規模な創作活動でもあった。社会運動であると同時に音楽運動でもあるという特異な性格を持っていたことになる。職場や学生のサークル、当時流行した歌声喫茶などを拠点に全国的な流行を見た。
うたごえ運動は1948年に関鑑子(せき あきこ)によって提唱された。この年、関は民青の前身、青共(日本青年共産同盟)の音楽部門である中央合唱団を設立し、指導者となった。以後、この中央合唱団がうたごえ運動を広める中心的存在となっていく。この合唱団は、共産主義の思想を活動家のものから大衆へと浸透させていく役割を担っていた。
運動が最盛期を迎えたのは、大衆運動が盛り上がった1960年代であり、1964年の第1回全国学生うたごえ祭典がピークであったとされる。
発展を担ったのは職場および学生のサークルである。ただし、うたごえ運動の目指すものは通常の音楽とは異なり政治的なメッセージ性の強いものであったため、芸術か政治かの方針の対立で分裂に至ったサークルも枚挙にいとまがない。
そして、大衆への浸透という意味で大きな働きをもっていたのが歌声喫茶の流行である。1955年に新宿で開店したカチューシャ、翌1956年にやはり新宿で開店した灯などに始まり、歌声喫茶は全国へ広がった。
うたごえ運動は、1970年代以降大衆の連帯という気運が弱まることで衰退する。しかし運動自体は継続されており、「日本のうたごえ祭典」が毎年開催されている。
[編集] うたごえ運動とポピュラー音楽
創作を活動の源泉とするうたごえ運動であるが、荒木栄などが活躍している頃には自分たちの以外の音楽ジャンルについて、ジャズやポップスはアメリカ帝国主義の日本への文化侵略、演歌や歌謡曲は単なる大衆迎合などと真面目に内部で決め付けていた。
70年代になって安保闘争など左翼の大衆運動が衰退すると、今度はポップスを研究して新しい傾向の創作を始める。 しかしそれも中途半端で、国鉄を守る中で生まれた「俺たちのシルクロード」などは、宇宙戦艦ヤマトの2番煎じのメロディーそのものである。
(参考)
俺たちのシルクロード
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/oretachinosilkroad.html
実際アニメソングを知らない外国人に試しに両者を聞かせてみると、両者を明確に区別できない事がはっきり分かる。 かつて荒木栄の曲は軍歌に影響された部分もあるとの批判があったが、最近のうたごえ創作曲も同じように戦闘的アニメソングやCMソングに少なからず影響されている。