NewOSK日本歌劇団
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NewOSK日本歌劇団は大阪市に本拠を置くレビュー劇団。劇団員(技芸員)はすべて女性。OSK日本歌劇団の解散後、その残存メンバーによって結成された事実上の後継団体。自称をふくめ市民劇団と呼ばれることがよくあるが、これは多くの市民から協賛金をはじめとするさまざまな金銭的・物的・精神的支援を受けていることへの感謝と、地元大阪との連帯を表すもので、法人形態としては株式会社組織である。
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[編集] 沿革
2002年6月、経営不振に陥っていた近畿日本鉄道がその対策のため、恒常的な赤字経営の状態にあったOSK日本歌劇団を2003年5月をもって解散することを団員に一方的に通告した。通告を受けた翌日から最年長団員の吉津たかしと男役スターの一人大貴誠を中心に劇団の存続活動が開始され、2002年8月には吉津たかしを代表とする「OSK存続の会」が結成された。OSK存続の会は2003年5月までに約20万人分のOSK日本歌劇団存続の嘆願署名を集めたが、近畿日本鉄道側の決定を覆すことは結局できず、OSK日本歌劇団は解散となる。
しかし団員はその後も活動を続け、2003年8月にはOSK存続の会による立上げ公演熱烈歌劇 re-Birthが近鉄劇場でおこなわれ、2003年9月にはOSK存続の会を支援していた経営コンサルタントを社長とし、残存の団員全員を株主とする株式会社が設立される。2004年10月には近畿日本鉄道側との商標権問題に決着がついたことを受け、会社名をNewOSK日本歌劇団に変更し現在の劇団の組織が固められた。
[編集] 活動
現在、NewOSK日本歌劇団は大阪市の世界館において毎月の定期公演をおこなっているほか、越前市(旧武生市)のたけふ菊人形においても毎年恒例となっている公演を継続している。また2004年4月には、前身である松竹楽劇部の本拠であった大阪松竹座で春のおどり公演がおこなわれ、これは66年ぶりの里帰り公演となった。
本拠となる世界館がパイプ椅子席を含めてわずか200席の小規模な劇場であったり、会報や各種パンフレットに大手企業の広告がほとんどないなど、劇団の経営は決して恵まれた状態にあるわけではないが、熱心なファンに支えられていることもあり、市民や企業からの協賛金も含めればかろうじて黒字が出せる状態にはなっている。また、劇団独自の技芸員の育成も再開されより長期的な存続にも目処がつきつつある。
[編集] ロゴ
現在のNewOSK日本歌劇団のロゴはNewOSKの文字を図案化したもので、これは団員たち自身によってデザインされたものである。また、「New」と「OSK」の間にはOの文字と腕を組む団員の姿が描かれており、劇団と地元大阪との連帯を表している。(外部リンク参照)