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高木 正坦(たかぎ まさひら、文政12年(1829年)3月 - 明治24年(1891年)1月)は、河内丹南藩の第12代藩主。松平維賢の四男。正室は一柳氏。
1829年3月生まれ。先代藩主の高木正明に嗣子が無かったため、その養嗣子となり、1848年8月23日の正明の隠居により家督を継いだ。大番頭となる。1869年の版籍奉還で藩知事となるが、同年11月18日、養嗣子の高木正善に家督を譲って隠居し、1891年正月に63歳で死去した。法号:高樹院殿風誉様堂正坦大居士。墓所:東京都杉並区永福の栖岸院。