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飯泉健二(いずみ けんじ、1967年1月27日 - )は日本人初のIBFアジアライト級王者。埼玉県春日部市出身。強烈なハードパンチャーでKOの山を築きながらも22歳にして網膜剥離という重症を負い引退勧告を受け9年間ものブランクを作る。その後、JBCとは別団体である日本IBFという別団体に31歳の時に復帰し有終の美を飾り引退した。
[編集] 来歴
- 1984年4月15日 デビュー戦で蛯原誠二に1RKO0:50勝ちを収める。
- 1989年3月13日 文成煥(韓国)に6RKO0:26 勝ちするも網膜剥離と診断され引退を余儀なくされる(この後、9年間リングから遠ざかる)。
- 1998年1月16日 I.B.F.日本の興行で復帰する。スラヤ・ケラン(インドネシア)に2RTKO0:50勝ちしIBFアジアライト級王座を獲得。
[編集] 戦績
- アマチュア:1戦1勝1RSC
- プロ:23戦20勝17KO3敗(生涯戦績)
題目 |
日付 |
勝敗 |
勝敗内容 |
対戦相手 |
国籍 |
備考 |
1 |
1984年4月15日 |
勝 |
1R0:50KO |
蛯原誠二 |
日本 |
プロデビュー戦 |
2 |
1984年6月18日 |
負 |
4R判定 |
菊地忠浩 |
日本 |
無し |
3 |
1984年7月31日 |
勝 |
3R1:48KO |
鏑木透 |
日本 |
無し |
4 |
1984年9月30日 |
勝 |
1R2:13KO |
斎藤一馬 |
日本 |
無し |
5 |
1984年12月4日 |
勝 |
1R1:58KO |
阿野敏充 |
日本 |
無し |
6 |
1985年1月10日 |
勝 |
6R判定 |
小山公男 |
日本 |
無し |
7 |
1985年4月25日 |
勝 |
4R2:04KO |
菊地忠浩 |
日本 |
無し |
8 |
1985年7月7日 |
勝 |
2R2:19KO |
菊地光次郎 |
日本 |
無し |
9 |
1985年12月5日 |
勝 |
6R2:41KO |
ブルース京田 |
日本 |
無し |
10 |
1986年4月3日 |
勝 |
7R1:52KO |
マーク堀越 |
日本 |
無し |
11 |
1986年5月22日 |
勝 |
1R2:56KO |
小森孝 |
日本 |
無し |
12 |
1986年7月23日 |
勝 |
6R判定 |
嵐一雄 |
日本 |
無し |
13 |
1986年10月23日 |
勝 |
7R1:24KO |
高城正宏 |
日本 |
KSD杯A級トーナメント・フェザー級優勝 |
14 |
1987年1月12日 |
負 |
3R2:57KO |
杉谷満 |
日本 |
日本フェザー級タイトル挑戦・失敗 |
15 |
1987年5月20日 |
勝 |
2R1:37KO |
上垣善照 |
日本 |
無し |
16 |
1987年8月27日 |
勝 |
6R判定 |
佐野勝治 |
日本 |
無し |
17 |
1987年10月22日 |
勝 |
7R2:45KO |
荻原昇 |
日本 |
KSD杯A級トーナメント・フェザー級優勝 |
18 |
1988年2月15日 |
負 |
10R判定 |
杉谷満 |
日本 |
日本フェザー級タイトル挑戦・失敗 |
19 |
1988年4月25日 |
勝 |
1R終了時TKO |
フランシスコ・ヒメネス |
メキシコ |
無し |
20 |
1988年10月21日 |
勝 |
1R2:47KO |
北郷秀光 |
日本 |
無し |
21 |
1988年12月12日 |
勝 |
2R2:24KO |
ルンデット・タナコーン |
タイ |
無し |
22 |
1989年3月13日 |
勝 |
6R0:26KO |
文成煥 |
韓国 |
無し |
23 |
1998年1月16日 |
勝 |
2R0:50TKO |
スラヤ・ケラン |
インドネシア |
IBFアジアライト級王座獲得 |
[編集] 獲得タイトル
- A級ボクサー賞金トーナメント優勝
- IBFアジアライト級王座
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