阿里山郷
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台湾省嘉義県阿里山郷 | |
地理 | |
位置 | 東経---°--" 北緯--°--" |
面積 | 427.842km² |
人口 | |
戸口(2006年6月) | 1,935戸 |
人口(2006年6月) | 6,193人 |
政治 | |
行政区分 | 郷 |
郷長 | 陳明利 |
地方自治機関 | 阿里山郷民代表会 |
下部行政区画 | 12村78鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 605 |
市外局番 | 05 |
郷花 | - |
郷鳥 | - |
郷木 | - |
別称 | 呉鳳郷 |
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阿里山郷(ありさんきょう、Alishan、アリシャン)は、台湾嘉義県に位置する郷である。
目次 |
[編集] 地理
阿里山郷は嘉義県東部に位置し、北は南投県竹山鎮と、東は南投県信義郷及び高雄県桃源郷と、西は梅山郷、竹崎郷、番路郷と、南は大埔郷及び高雄県三民郷とそれぞれ接し、嘉義県全体の1/5を占める県内最大面積の郷鎮である。
[編集] 歴史
嘉義地区には明末の鄭成功統治時代より漢人の入植が進み、清代の康熙末年には嘉南平原一帯の開発がほぼ完了していた。新たな土地を求めた漢人は乾隆年間ごろに竹崎郷、梅山郷一帯より阿里山地区に入植する者が出てきた。漢人の進出は、この地域を活動区域としていた原住民である鄒族との衝突につながった。漢人は奮起湖や瑞里等の集落を形成し、鄒族は漢人に圧迫され山地へと活動拠点を移した。この鄒族を教化した故事で知られる「呉鳳神話」はこの時期に祖形が生まれたものである。
日本統治時代、日本政府はヒノキ材の伐採のために嘉義市よりこの地に至る阿里山森林鉄道を建設、阿里山で大量の木材が伐採されることになると同時に、阿里山に於ける大きな観光インフラの整備が進んだ。
1946年、中華民国政府は呉鳳の「捨身取義」の行為(原住民からは否定的な評価を受けている)を顕彰してこの地(元・台南州嘉義郡の蕃地)を「呉鳳郷」と改称し、国民小学の教科書の中で呉鳳の物語を採用するなど、政治的に利用されることとなった。1987年9月9日、ツオウ族より政府に対し原住民差別政策の撤廃と、「呉鳳郷」を「阿里山郷」と改称し、呉鳳に関する内容の教科書からの削除を求める運動が成され、1989年3月1日に「阿里山郷」と改名され現在に至っている。
[編集] 経済
[編集] 行政区
[編集] 歴代郷長
代 | 氏名 | 任期 |
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[編集] 教育
区分 | 数 | 名称 |
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大学 | 0 | - |
技学 | 0 | - |
高中 | 0 | - |
高職 | 0 | - |
国中 | 1 | 嘉義県立香山国民中学 |
国小 | 7 | 嘉義県立十字国民小学 嘉義県立山美国民小学 嘉義県立茶山国民小学 嘉義県立新美国民小学 嘉義県立達邦国民小学 嘉義県立楽野国民小学 嘉義県立豊か山国民小学 |
[編集] 交通
種別 | 路線名称 | その他 |
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鉄道 | 阿里山線 | 多林駅 十字路駅 屏遮那駅 第一分道駅 二万平駅 神木駅 阿里山駅 沼平駅 |
鉄道 | 祝山線 | 沼平駅 十字分道駅 対高岳駅 祝山駅 |
鉄道 | 眠月線 | 阿里山駅 沼平駅 石猴駅(現在営業休止中) |