阿部定
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阿部 定(あべ さだ、1905年5月28日 - 生死不詳)は、阿部定事件の犯人。東京市神田区新銀町(現在の東京都千代田区神田多町)出身。
阿部定事件において愛人である男性を殺害したという容疑で殺人罪で逮捕され、当時の社会に衝撃を与える。裁判の結果、事件は痴情の末と判定され、阿部は懲役6年の判決を受けて服役。1941年に「皇紀紀元2600年」を理由に恩赦を受け出所。 その後は市井で一般人としての生活を送っていたが、1971年に身内から忽然と姿を消し、以降の消息及び生死は不明となっている。
1971年(昭和46年)、千葉県市原市の「勝山ホテル(廃業)」で、「こう」という名前で働いていた。 ここでは、65歳という高齢にもめげず、若い男に金品を貢いでは気を引いていたそうであるが、置手紙を残したまま、姿を消して、以後、消息を断っている。
その後、ある老人ホームに入っているらしいという情報もある。2006年現在、生死不明。