重商主義
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重商主義(じゅうしょうしゅぎ、mercantilism)とは、国家の産業として商業を特に重要視した経済思想および経済政策の総称。
15世紀半ばから18世紀にかけてヨーロッパで絶対主義を標榜する諸国家がとった政策である。資本主義が産業革命によって確立する以前、王権が絶対主義体制(常備軍・官僚制度)を維持するため、国富増大を目指して行われた。初期の重金主義と後期の貿易差額主義に分けることができる。チャイルド、クロムウェルやコルベールらが代表者。
いずれにも共通しているのは、「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」と言う認識であった。植民地からの搾取、他国との植民地争い、保護貿易などを加熱させたが、植民地維持のコストの増大や、国内で政権と結びついた特権商人の増加などが問題となり、自由経済思想(現代では古典派経済学と呼ばれる)の発達を促すもとになった。
日本においては江戸時代中期の政治家、田沼意次がその先駆者として挙げられている。
[編集] 重金主義
重金主義(じゅうきんしゅぎ、bullionism)とは、貴金属のみを国富として、その対外取引を規制し流出を防止し、同時に対外征服や略奪、鉱山開発を推し進め、国富たる貴金属を蓄積させようとする政策。16世紀のスペイン、ポルトガルの代表的な政策で、のちフランス王ルイ14世に仕えた財務総監コルベールがとった経済運営(コルベール主義)が有名である。ブリオニズム。
[編集] 貿易差額主義
貿易差額主義(ぼうえきさがくしゅぎ)とは、輸出を進めて輸入を制限することにより国内産業を保護育成し、貨幣蓄積をはかる政策。重金主義が国家間での金塊等の争奪や私掠船(官許の民間掠奪船)の横行、相互の輸出規制合戦の様相を呈したのに対し、貿易の差額による国富(ここでは貴金属)の蓄積が主張された。イギリス東インド会社の係官トマス・マン(19世紀の作家T・マンとは別人)が主張、イギリス重商主義の中心的な政策となる。
[編集] 関連項目
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