酒井忠経
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酒井 忠経(さかい ただつね、嘉永元年(1848年) - 明治17年(1884年))は越前敦賀藩の第8代(最後)の藩主。第7代藩主・酒井忠毗の子。正室は松平康英の三女。官位は従五位下。右京亮。
1848年9月生まれ。1867年6月17日、佐幕派の立場に苦しんだ父の隠退により家督を継ぎ、藩主となる。翌年の戊辰戦争では本家の小浜藩が幕府側に与したのに対して、忠経は父と180度方向を転換して新政府側に与した。1869年には版籍奉還により藩知事となる。1870年5月、敦賀藩を鞠山藩と改称した。
同年9月、小浜藩との合併に伴って小浜藩知事となるが、翌年7月の廃藩置県で廃藩となった。1884年12月、37歳で死去した。