遠山景任
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遠山 景任(とおやま かげとう、享禄2年(1529年) - 元亀3年12月3日(1573年1月6日))は戦国時代の武将。岩村遠山氏当主。美濃岩村城主。父は遠山景前か。妻は織田信長の叔母(おつやの方)。友通。
景任は、美濃遠山氏の総領である岩村遠山家の当主である。織田信長と縁戚関係を結び、信長の叔母を娶るとともに、信長の子(のちの織田勝長)を養子に迎え継嗣とした。
元亀3年(1572年)、上洛を目指す武田信玄が部将の秋山信友に軍を預けて攻め込んできたとき、景任は籠城して抗戦しようとしたが、ほどなくして城中にて病死してしまった(元亀3年(1572年)、上村合戦で信友と戦ったときに受けた傷がもとで、36歳で死去したとも)。このため、信長の援軍(織田信広、河尻秀隆ら)が到来したにも関わらず、城兵の士気は一気に下がり、景任の妻は信友の妻となることで降伏してしまった。