道頓堀角座
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道頓堀角座(どうとんぼりかどざ)は大阪市中央区の道頓堀に位置した劇場、演芸場、映画館。慶安5年/承応元年(1652年)開場。
[編集] 沿革
江戸時代は「角の芝居」とも呼ばれた芝居小屋であった。戎橋側から浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座の五つの芝居小屋を「五つ櫓」(-やぐら)又は「道頓堀五座」と呼んだ。1758年(宝暦8年)、歌舞伎の舞台に不可欠である「回り舞台」が初めて採用され、以降全国的に広まる。1920年(大正9年)松竹の経営に移る。以降松竹系の演劇興行が行われたが、戦災で消失。戦後「SY角座」となり洋画専門の映画館として復興した。
1958年(昭和37年)、演芸プロダクションの新生プロダクション(勝忠男代表)と上方演芸(秋田實代表)は、それまで芸人を供給していた千日前の歌舞伎地下演芸場が4月一杯で閉鎖される事となったため、代替の出演場所を探して松竹を頼る事となった。松竹は角座を演芸場に改装の上、5月に再開場。さらに芸人供給元の新生・上方両社は松竹の出資を受けて合併。松竹新演芸(後の松竹芸能)が発足した。
演芸場となってからの角座は、引き続き松竹が経営し興行を行ってはいたが、実際の番組編成や芸人の配給等一切は松竹芸能が執り仕切っていた。このため、松竹芸能の盛衰と運命を共にする事となり、1960~70年代は上方演芸の殿堂として隆盛を誇っていたが、1980年代の漫才ブームでは一転して吉本興業の花月劇場チェーンに水を空けられる結果となった。
この事態に対応すべく、表記を「KADOZA」と改め、場内の提灯を取り外して出演者も若手芸人に絞るといったリニューアルを断行したが、結果は裏目に出てしまい客離れが加速。以降ジリ貧状態が続いた末1984年(昭和59年)に閉鎖される。
1986年(昭和61年)、飲食店を含めた複合ビルとして改築され、松竹系の映画館「角座1」「角座2」(当初「SY角座」「松竹角座」)として再開場。現在に至る。
2004年(平成16年)1月、角座ビル地下一階の一部を松竹芸能が賃借。ライブスペース「B1角座」として演芸場を復活させた。