観世元雅
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観世 元雅(かんぜ もとまさ 応永元年(1394年)?-永享4年(1432年)8月1日)は室町時代の能作者、能役者。十郎元雅ともいう。世阿弥の長男。忌み名は善春。
父がひきいる一座、観世座に参加し、世阿弥の後継者として期待されていた。応永29年(1422年)観世太夫の座を父からゆずられたとされる。世阿弥親子の能が将軍家や寺院の庇護を失うなか、三十代の若さで巡業先の伊勢伊勢安濃津で急死した。暗殺説もあるが不詳。
世阿弥の能楽論『花鏡』は観世座の後継者である元雅のために書かれた。また『申楽談儀』には、演出をめぐって父と意見の対立があったことも記されている。しかし、世阿弥は元雅の死をいたんで『夢跡一紙』を書き、そのなかで元雅の能を「子ながらも類なき達人」と評している。
[編集] 作品
元雅の能は、祖父観阿弥のドラマ性と、父世阿弥の幽玄をあわせもつ優美な作風である。以下の作品が元雅作と考えられる。
- 隅田川
- 弱法師(よろぼし)
- 歌占
- 盛久
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