虎徹
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虎徹(こてつ,? - 延宝5年(1677年)?)は、刀鍛冶の名である。またその刀鍛冶に作られた刀剣の名でもある。地鉄が緻密で切れ味鋭い名刀として名高い。別名、長曾禰虎徹(ながそねこてつ)、興里(おきさと)。
虎徹は石田三成の佐和山城下(滋賀県彦根市)に生まれ、幼少期に関ヶ原の合戦後の落城で福井から金沢に逃げた。金沢では甲冑の名工として知られた。江戸に移って刀鍛冶に商売替えしたのは50歳近く。はじめは古鉄と名乗り、兜や古釘など、古い鉄を溶かして刀に作っていた。
刀の斬れ味が素晴らしく、また刀身に彫りこんだ彫刻も見事なことで有名。
- ※その斬れの良さから、時代劇やドラマ、またバラエティ番組などで「今宵の虎徹は血に飢えている」と表現される事もある。
虎徹を新選組局長・近藤勇がどのようにして手に入れたかについて、「新撰組始末記」では、「江戸で買い求めた説」「鴻池に貰った説」「斎藤一が掘り出した説」の三説を挙げている。なお、実際には近藤の虎徹は、当時名工として名を馳せていた源清麿の打った刀に偽銘を施したものとする説(司馬遼太郎の小説『新撰組血風録』に詳しい。この小説の中では、上記の3つの説全てを取っている。つまり、江戸で買ったのが偽虎徹であり、鴻池からもらったのと斎藤が掘り出した真の虎徹が計2本。近藤が常用したのは偽虎徹となっている。)もあり、現在ではこちらの説のほうが強い。ちなみに、清麿自身も稀代の名工と謳われた刀匠の一人であり、偽銘品ながら虎徹に勝るとも劣らぬ性能を発揮した所以である。
刀剣の業物一覧では、最上大業物12工にランクインしている。
カテゴリ: 人名関連のスタブ項目 | 日本刀の刀工 | 1677年没