落合直文
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落合 直文(おちあい なおぶみ、文久元年11月15日(1861年12月16日) - 1903年12月16日)は、日本の歌人、国文学者である。
陸前国(現宮城県)本吉郡松崎村字片浜(現気仙沼市字松崎片浜:煙雲館)にて伊達藩の家老の家柄で、鮎貝太郎平盛房の二男として生まれた。11歳~13歳仙台私塾、仙台中教院で漢学等学ぶ。14歳1874年、国学者落合直亮の養子となる。養父転任で伊勢に移り、神宮教院に学ぶ。21歳1881年、上京、翌年、東京帝大文科大学古典講習科に入学、24歳1884年、中退し、入営、三年間軍務をつとめる。28歳1888年、皇典講究所(現国学院大学)、翌年第一高等中学校にて教鞭をとり、以降国文学者、教育者としての道を歩む傍ら、歌集、文学全書の刊行など多彩な文筆活動を展開した。33歳1893年には「あさ香社」を結成し、『日本大文典』『ことばの泉』などの文法書や事典の編集刊行に尽力し、功績を残した。40歳1900年、門弟与謝野鉄幹の創始した「明星」には監修の協力や歌文を寄稿した。代表歌に”緋縅のよろひをつけて太刀はきてみはやとぞおもふ山さくら花””阿蘇の山里秋ふけて”の孝女白菊の歌等。